北九州市で期間限定の「アウトレッ丼」 鉄の街らしくアツアツに

安斎耕一2022年5月14日 20時15分 北九州市八幡東区にある千草ホテル内のレストランが、6月末までの期間限定で特別メニューを提供している。その名は「THEアウトレッ丼」。 スペースワールドの跡地に開業したアウトレットモールにあやかった。鉄の街・八幡らしく、アツアツの鉄なべで焼いた九州産の肉や野菜を載せた。 官営八幡製鉄所の操業開始の年にちなみ、価格は1901円(税抜き)に。「新名所誕生を祝って作ったシェフのアツい思いも一緒に味わって」と担当者。(安斎耕一)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

中学校の天井から鉄製の部材落下 生徒が首に切り傷 堺

堀之内健史2022年5月14日 16時49分 堺市教育委員会は14日、市立陵南中学校(同市北区)の通路の天井から鉄製の部材が落下し、生徒1人が首に切り傷を負ったと発表した。堺市教委は週明けの16日以降、市内の小中高校、幼稚園において同様の箇所を調査・確認し、必要に応じて修繕するという。 堺市教委によると13日午後0時45分ごろ、校舎2階と渡り廊下の継ぎ目部分から、棒状の鉄製部材(縦横16ミリ、長さ約45センチ、重さ約300グラム)が約3メートル下の1階床に落下し、通りかかった1年の男子生徒の首の右側に当たった。当時は昼休み中で、生徒は1・5センチの切り傷を負った。調べたところ、雨水による腐食が確認されたという。(堀之内健史)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

コーラより安い借地料、7回変わった通貨 沖縄、アメリカ世の27年

グラフィック・岩見梨絵、末房赤彦 5月15日で日本復帰から50年となる沖縄には、「世替わり」という言葉があります。中国に朝貢した「唐の世(ゆー)」から日本に組み込まれた「大和世」へ、沖縄戦の「戦(いくさ)世」から米軍統治下の「アメリカ世」――。復帰前はどんな日常だったのでしょうか。沖縄の歴史と当時の暮らしを振り返ります。沖縄をめぐる時代区分。大陸とも関係を結んだ「唐の世」、沖縄県設置から太平洋戦争までの「大和世」。戦後の「アメリカ世」 1429年に成立した「琉球王国」は、中国・明に朝貢し、日本や東南アジアとの交易で栄えた。王宮の首里城は、政治や外交の中心だった。18世紀には三線(さんしん)音楽や組踊(くみおどり)などが花開き、「沖縄文化のルネサンス」と呼ばれる。16世紀ごろの琉球王国 だが明治政府が1872年、一方的に琉球藩を設置。79年には軍隊や警察を送り、琉球藩を廃して沖縄県を設置し、琉球王国は崩壊した。明治政府は琉球を日本へ組み込む過程を「琉球処分」と呼んだ。■太平洋戦争末期の沖縄戦、2…この記事は有料会員記事です。残り1886文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

約1週間ぶりに前週より減少 大阪の新たな感染確認は3440人

 大阪府は14日、新たに3440人が新型コロナウイルスに感染したことを確認したと発表した。前週の同じ土曜日(7日)より752人少なかった。前週の同じ曜日を下回るのは、5月6日以来で8日ぶり。新たに死亡が確認された人はいなかった。 府内の感染者は延べ93万2816人になり、死者は計4988人。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

Yu Darvish gets no decision as Padres beat Braves in comeback

Atlanta – Yu Darvish got a no decision Friday in a start that lasted 5⅔…

事故で内定辞退→イラスト1枚5千円で生計 扉を開いたスキル市場

 大学4年の冬を迎えたころ。福岡県の白竹桜さん(26)は、卒業後の生活を思い描けないままでいた。 その数カ月前、事故に遭って歩くことができなくなり、非常勤として働く予定だった学校に内定辞退を申し出ていた。 これからどう生計を立てればいいのだろう――。 前を見なければ。悩んだすえ、自分にできることに目を向けると、高校時代に勉強したデザインが思い浮かんだ。 リハビリもあり、毎日出勤して働くことは難しい。だが、インターネット上でイラストの作製や受注についてやりとりできるのであれば、自宅でもできる。 そこでたどり着いたのが、「スキルマーケット」というサイトだった。 「能力を売買する」という意…この記事は有料会員記事です。残り2330文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

静かだった沖縄本土復帰の日 米兵に夫を殺された妻はつぶやいた

 ベトナム戦争への従軍取材の経験もある報道写真家の石川文洋(ぶんよう)さん(84)は、1972年5月15日、復帰を果たした沖縄の当日を撮影して回った。その日の様子を「静寂」だったと振り返る。 石川さんは那覇市首里の出身。祖母は沖縄戦を生き延びたが、祖父は戦死した。自身は4歳だった1942年に千葉県船橋市に家族とともに移住し、沖縄戦は経験していない。 フリー記者として65~68年、南ベトナム・サイゴン(現ホーチミン)に住んで米軍などに従軍し、ベトナム戦争を取材。帰国後の69年、朝日新聞出版局の写真部で働き始めた。この年、日米首脳会談で沖縄返還に合意。沖縄では復帰への期待が高まっていた。 石川さんは「自分のルーツである沖縄はどうなるのか」と考え、復帰当日の沖縄の取材を計画。未明から深夜まで、沖縄本島各地の動きを追った。 15日午前0時、那覇市の国…この記事は有料会員記事です。残り1036文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「風化させない」滋賀・信楽高原鉄道事故から31年 現場で追悼法要

 滋賀県甲賀市(旧信楽町)で信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突し、42人が死亡、628人が負傷した事故から14日で31年がたった。現場近くでは追悼法要があり、SKRの正木仙治郎社長(甲賀市副市長)とJR西の長谷川一明社長が慰霊碑に献花した。 コロナ禍で規模を縮小した法要は午前10時半からあり、遺族や関係者ら7人が黙禱(もくとう)した。事故発生時刻の同10時35分ごろには、SKRの信楽行き列車が警笛を鳴らしながら通過した。 1991年に起きた事故の主…この記事は有料会員記事です。残り173文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

父に捨てられ、「米兵の子」といじめられ 私は誰?たどり着いた答え

 八百屋の男性が、たどたどしい英語で話しかけてくる。「ディス トマト イズ ベリーナイス」。比嘉マリアさん(53)はさらりと返した。「まーさぎさーぬトマトやいびーんやーたい(おいしそうなトマトですね)」 4月、沖縄県沖縄市の産直市場。周囲は少し驚いた顔をした。「アメリカ人」が、沖縄の言葉を話している。いつものことだ。 これまで何度も、顔をのぞきこまれ、「英語は話せないの?」と聞かれてきた。 話せないよ。だって、私は、うちなーんちゅ(沖縄の人)だから。 自信を持って、こう答えられるようになるまで、長い時間がかかった。幼い頃から、ずっと悩み続けてきたこと。 私は誰なのか。   ◇ ベトナム戦争下、米軍キャンプ・シュワブ(現在の名護市など)に駐留する米兵の父と、沖縄戦を生き抜いた母の間に生まれた。父のリーという名前にちなみ「リーエ」と名づけられた。 しかし、米国に婚約者がいたという父は、母の出産を受け入れず、生まれる前に帰国した、と聞いた。 ブラウンの瞳と髪、高い鼻。自身の容姿に苦しんだ。 沖縄戦の戦没者らを悼む6月23日の「慰霊の日」が近づくと、気持ちが沈んだ。小学生の平和学習で使われるのは、火炎放射器を持つ米兵の写真。「アメリカー(米国人)は基地に帰れ」と同級生から石を投げられ、ランドセルはぼろぼろにされた。 自分はアメリカ人ではないし、米軍基地にも入れない。 それなのに、皆と一緒じゃない。 ずっと親を恨んでいた。 17歳のころ、母が探し出した父の居場所へ一人向かった。 なぜ私を拒み、家族を置いて…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「にぎわい戻って」 火災の旦過市場、アーケードの通行止め全面解除

 4月に大規模な火災が起きた北九州市小倉北区の旦過市場で、最後まで立ち入りが規制されていたアーケード北側入り口部分の通行規制が14日朝、解除された。通路の片側は焼けた店舗のがれきが残ったままだが、鉄製の仮囲いが設けられ、通行人の安全を確保。26日ぶりに開いた「市場の玄関口」から、市民が早速、買い物に訪れていた。 市場を訪れた福岡県新宮町の男性(70)は、「まだ厳しい状況が続くと思うが、復興に向けた第一歩になってほしい」。仮囲いに覆われた菓子店の前で、店主の矢野芳正さん(46)は「焼け跡を片付け、どう再建するか、これからが大変です」。旦過市場商店街の中尾憲二副会長は、「通路の開通を最優先の目標に掲げてきたが、予想より早く達成できてうれしい。今後はがれきの撤去、そして旦過に一日も早く、にぎわいが戻るように取り組みたい」と話した。 火災は4月19日未明に発生…この記事は有料会員記事です。残り284文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル