生活保護減額、訴え退ける 佐賀地裁

 国が2013年~15年に実施した生活保護基準額の引き下げは生存権を保障した憲法に違反するなどとして、佐賀県の受給者24人が佐賀市などの減額決定の取り消しを求めた訴訟の判決が13日、佐賀地裁であり、三井教匡裁判長はいずれも原告の請求を退けた。 同様の訴訟は全国29都道府県で起こされ、判決は9例目。生活保護基準額の引き下げを厚生労働相の裁量逸脱による違法として減額決定を取り消した21年2月の大阪地裁判決以外、原告側の訴えを退けた判決は8件目となる。 主な争点は、生活保護基準額の引き下げが厚労相の裁量の範囲といえるかどうか、いわゆる「デフレ調整」や「ゆがみ調整」と呼ばれる国の算定が適法だったかどうかだった。 「デフレ調整」は国が物価下…この記事は有料会員記事です。残り507文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

国交省統計不正、3.6兆円過大 20年度、有識者会議が調査結果

 国の基幹統計「建設工事受注動態統計」の不正をめぐり、国土交通省の本省職員が受注実績を無断で書き換えて二重計上していたことで、2020年度の統計が約3・6兆円(実績全体の約5%)過大になっていたことがわかった。19年度以前については、毎年約5・8兆円(実績全体の約8%)過大になっていた可能性があると試算した。国交省が設置した有識者の検討会議が調査結果をまとめた。巨額の訂正が必要になる。 関係者によると、検討会議は13日午後、これらの調査結果を盛り込んだ報告書を国交省に提出する。 20年度には、業者が受注実績の提出期限に間に合わずに数カ月分をまとめて提出した場合、このうち最新1カ月とその前月の「計2カ月分」を無断で書き換え、最新1カ月分の受注実績のように合算する処理が本省職員によって行われていた。 検討会議が、業者が受注実績…この記事は有料会員記事です。残り186文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

82歳暴力団幹部「生活困窮していた」 コロナ給付金詐欺容疑認める

大山稜、遠藤美波2022年5月13日 13時54分 新型コロナウイルス対策の給付金などをだまし取ったとして、警視庁は暴力団員や外国人らを詐欺容疑で逮捕し、13日発表した。 指定暴力団住吉会系組幹部の男(82)=東京都杉並区=は、個人事業主向けの国の持続化給付金100万円を詐取したとして逮捕された。 荻窪署によると、男は2020年8月に給付金を電子申請する際、「暴力団員に該当しない」とする誓約事項欄にチェックして暴力団幹部であることを隠して給付を受けた疑いがある。事業を営んでいた実態も確認されなかったという。 署が暴力団員の身辺調査の一環で男の収入状況を調べ、不審な入金があったことから発覚。男は給付金を家賃などの生活費に充てており、「生活の資金繰りに困窮していた」と容疑を認めているという。 また、東京・錦糸町の外国人クラブの経営者ら男女3人は、都の感染拡大防止協力金を詐取したとして逮捕された。 国際犯罪対策課によると、セルビア人クラブを経営するバングラデシュ国籍の男(55)と店長のセルビア国籍の女(32)は20年11月、コロナ禍にともなう時短営業をしたように装って協力金15万円を詐取した疑いがある。別の外国人クラブを経営するバングラデシュ出身の日本人の男(40)も、同様の方法で協力金44万円をだまし取った疑いがある。 これらの2店舗はそれぞれ協力金約1500万円を受け取っており、同課が適正な受給か調べている。(大山稜、遠藤美波)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

Marines hand Eagles first losing streak of season

Sendai – Hiromi Oka hit a two-run second-inning home run that helped power the Chiba…

沖縄の歓楽街、少女4人は何を見たのか 50年後に記者が探した名前

 つりスカートの制服の4人の子どもが腕を組んで歩いている。日本のどこでもみられそうな姿。だが周囲に英語の看板が立ち並び、異国のような風景が広がっている。 朝日新聞社の写真記者が1972年5月、沖縄のとある街で撮った1枚だという。4人の表情は自然だが、通りは小学生が歩くような場所ではなさそうだ。 この写真を取材したい。 記者(31)はひと目見てそう思い、4人を探すことにした。沖縄1972ー写真でたどる日本復帰50年ー1972年5月15日、戦後の米国統治を経て、沖縄が日本に復帰しました。激しい変化にもまれる人々の姿を朝日新聞のカメラが収めていました。半世紀がたった今、あなたはどこにいて、何を思うのでしょう。 写真と出合ったのは、「沖縄復帰50年」の取材班に加わったことがきっかけだ。 朝日新聞社が所蔵する50年前の沖縄の写真の数々。そこに写された人を再訪する取材だった。 平成生まれのわたしはそれまで、「沖縄の日本への復帰」を特別に意識したことはなかった。学校では「沖縄返還」と習った。米軍統治も、戦後史の知識があるだけ。そこでどんな人が、どんな暮らしをしていたかというイメージは、ほぼ持っていなかった。 だからこの写真に、小さくない衝撃を受けた。 米国のような街並みの中で、4人の子どもはとても自然に見える。怖くなかったのか。登下校でトラブルに巻き込まれなかったのか。どこで何をして遊んでいたのか。胸元の四角いプレートを拡大すると 素朴な疑問が次々と浮かんだ…この記事は有料会員記事です。残り2806文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

にぎわいと怒り、そして戦争の影 少女追った沖縄の街で気づいたこと

 沖縄が日本に復帰する前の1972年5月、朝日新聞社の写真記者が撮影した1枚の写真がある。異国のような通りを歩く、4人の子どもたちを写したものだ。彼女たちに会ってみたいと思い、記者(31)は写真が撮影された沖縄本島中部のコザ(現・沖縄市)を訪ねた。沖縄1972ー写真でたどる日本復帰50年ー1972年5月15日、戦後の米国統治を経て、沖縄が日本に復帰しました。激しい変化にもまれる人々の姿を朝日新聞のカメラが収めていました。半世紀がたった今、あなたはどこにいて、何を思うのでしょう。 コザには復帰後の沖縄県で初めてできた大きなアーケード街がある。 昔ながらの衣料品店や市場のほか、ダンススクールや若い世代が経営しているであろうカフェもある。 ここでまずは、写真の4人と同世代の、現在60歳前後の人をさがすことにした。同級生やすぐ近い学年の人ならば、写真を見ただけで彼女らが誰か、わかるのではないかと期待した。 何人かに聞いたところ、化粧品店の女性が同年代だろうという話を聞いた。店を訪ねると、お客さんがいなかったこともあり、店主の崎浜澄子さん(64)は気さくに話をしてくれた。 「今考えたらびっくりだよね。こんな所を通って通学していたなんて……」 崎浜さんは写真を見て、そう…この記事は有料会員記事です。残り2718文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

管内の歩道がきれいなのはなぜ? 警察署で話題になった男性に感謝状

鳥尾祐太2022年5月13日 10時49分 警察署管内の歩道がきれいなのはなぜ――。千葉市若葉区の千城台地区で歩道の草刈りやごみ拾い、花を植える活動を続ける千葉市の荒井秀雄さん(81)に10日、「景観が良いと犯罪も起こりにくくなる」などと、千葉東署から感謝状が贈られた。 荒井さんは、2018年から個人で活動を始めた。歩道のススキなどで道路の見通しが悪いと感じたことがきっかけ。その後、スペイン語を元に「きれいな小道」という思いを込めた団体「カミニート ボニート」を知人らとつくり、千葉市の「ちばし道路サポーター」にも登録した。 この地区にある千葉東署では、「署周辺がきれいなのはなぜか」と話題に。そこで荒井さんたちの活動を知ったという。署では、背の高い雑草がなく、見通しがよくなったことで犯罪抑止にもつながると期待する。金田新一署長は「引き続き地域の活動をやっていただければ」。 感謝状の贈呈式で、荒井さんは「草を刈るだけでなく、生えてこないようにできないか考えている」とさらに意欲を語った。(鳥尾祐太)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

A Okinawa, le combat de deux journaux contre la présence des bases militaires américaines

LETTRE DE TOKYO Un opposant aux bases militaires américaines originaire d’Okinawa, au troisième jour de…

「ひとごと」との架け橋になるのが文学 作家オーガニックゆうきさん

 戦後の那覇市を舞台にした小説「入れ子の水は月に轢(ひ)かれ」で作家デビューした沖縄出身のオーガニックゆうきさん(29)。幼少期から見慣れてきた基地反対集会や座り込み運動は本土の大学で冷笑され、沖縄と本土との溝の深さに大きなショックを受けました。本土から「ひとごと」と見られがちな沖縄について「文学は他者との架け橋になる」と語ります。作家。1992年生まれ、沖縄県浦添出身。本名は上里叶子(きょうこ)。京都大学在学中。2018年に「入れ子の水は月に轢(ひ)かれ」がアガサ・クリスティー賞に選ばれ、作家デビュー。今年4月に文庫化された。現在は、沖縄の米軍基地や首里城をテーマにした作品を構想している。――デビュー作の舞台は沖縄でした。 「生まれ育った沖縄を取り上げたいと思っていました。舞台になっている那覇市の水上店舗には、曽祖母が卵を売っていた店もありました。執筆にあたって多くの店主に話を聞いたり、公文書館で米軍統治時代の資料を調べたりする中で、水上店舗は戦後、戦争で何もなくなった場所に人々が集まって闇市ができ、復興していった『証し』だと分かり、題材にしようと考えました」身近にあった沖縄戦や基地問題 外に出て気づいたこと――作品では、沖縄戦や基地問題が背景にあると強く感じさせます。いつから、こうした問題に関心を持ちましたか? 「赤ちゃんの時から両親に…この記事は有料会員記事です。残り3550文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

トマト嫌いだった農家がミニトマト栽培 「売れる物作り」を聞く

 トマト嫌いだった農家が育てるミニトマトがある。甘みと酸味のバランスにこだわり、大阪府南部にあるハウスから四季を通して出荷する。サラリーマンの経験と、消費地に近い立地を生かし、「ミニトマトメーカー」として「売れる物作り」を進めている。 和泉市の直売所に並んだミニトマト。袋には「糖度は8度以上」の文字が。口に入れると、酸味と甘みが広がり、後を引く味だ。 岸和田市と和泉市にあるハウス計約55アールで、「アマメイド」というブランド名のミニトマトを育てるのは、キノシタファームの木下健司さん(43)。実家は農家だが、トマトは嫌い。でも、「この味なら食べられる」というトマトに出会い、人生が変わった。    ◇ 岸和田市の農家に生まれ育ったが、一年中泥だらけになって働く親の姿を見て、魅力は感じなかった。大学卒業後はサラリーマンとなり、商社や製紙会社などの営業を経験した。 30歳を前にサラリーマンを続けるべきか悩み、家業と向きあった。学生時代のバイト先の店長に相談すると、「思い立ったら農業を始められる環境は恵まれている」。農家以外の人が新規就農するには、農地の確保など壁が高いからだ。 実家が農家というアドバンテージを生かさない手はないのでは――。そう考えて29歳で退職し、実家の葉物野菜の栽培を手伝った。 「雨が降って時間があったの…この記事は有料会員記事です。残り1084文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル