広告大手・電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が、クリスマスに過労自殺して25日で5年になる。母の幸美さんが、命日にあわせて手記を公表した。「最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません」と5年間の思いをつづった上で、「過労死問題の風化を感じています」と懸念。「在宅勤務で労働時間が増えている人もいます。コロナ禍にあってもコロナ後においても改善を継続して欲しい」と、国や社会に一層の対策推進を求めた。 拡大する2015年12月16日、亡くなる前の最後の食事となった時の高橋まつりさん(右)と幸美さん=高橋幸美さん提供 高橋まつりさんは2015年12月に、東京都内の女子寮で命を絶った。長時間労働による精神疾患が原因だったとして、16年9月に三田労働基準監督署(東京)が労災認定。電通は17年10月、違法残業を防ぐ措置を怠ったとして東京簡裁から罰金50万円の有罪判決を受けた。手記で幸美さんは、「長時間労働や異常な上下関係やハラスメントは、あんなに健康で明るく向上心の強かった娘をも、あっという間に『うつ病』に追い込んだ」と、悔しさを改めてつづった。 その電通は今年11月、希望退職した正社員と、個人事業主として業務委託契約を結ぶ人事施策を明らかにしている。幸美さんは「労務管理の責任があいまいにならないように取り組んでいただきたい」とし、引き続き電通の労働環境の改善の取り組みを注視していくとした。 拡大する2001年の冬、小学3年生の高橋まつりさん(左)と幸美さん=高橋幸美さん提供 また手記で幸美さんは、まつりさんの事件直後は過労死をなくす取り組みが社会全体で進んだ一方、仕事が原因で命を絶つ人は19年も約2千人いたとの警察庁の統計をひいて、「いまだにたくさんの人が犠牲になっている。国は本気で過労死防止に向き合い、過労自殺を無くして欲しい。どうかこれ以上私たちのような犠牲者を増やさないでください」と訴えた。 国は来年夏、過労死を防ぐための施策の土台となる「過労死防止大綱」を見直す。幸美さんは遺族代表の一人として、3年に1度の改定論議に初めて携わる。手記を、こう結んだ。「日本が、若者たちが希望を持って人生をおくれる国になるように発言していくことが、娘が私に遺(のこ)した使命と思い、微力ながらまつりと共に力を尽くしてまいります」(吉田貴司) 拡大する2013年7月、富士山に登った時の高橋まつりさん(左)と幸美さん=高橋幸美さん提供 《高橋幸美さんの手記全文》 ※表記などは原文のまま掲載しています まつりの5年目の命日によせて 高橋幸美 2020年12月25日 「こんな富士山のある田舎で育ったのは、今思えば、幸せだったのかもしれないな。お母さんと弟とカニを捕まえたり、ホタルを見に行ったり、川で泳いだり……」とまつりが語ったのは、なくなる2、3カ月ほど前のことでした。 まつりが亡くなって今年で5年目のクリスマスを迎えました。最愛の娘、生きていたら29歳です。…
3 ans Il y a