愛知県で山火事 お盆行事の火が燃え移ったか(テレビ朝日系(ANN))

All Nippon NewsNetwork(ANN) 15日夜、愛知県新城市で山火事がありました。山の斜面でたいまつを燃やすお盆の行事の火が燃え移ったとみられています。  午後7時ごろ、新城市市川の山林で「万灯の火が燃え移った」と警備のため現場に立ち会っていた警察官から119番通報がありました。火は約6時間後に消し止められましたが、山林の立ち木など約2700平方メートルが焼けました。現場の山では、たいまつを燃やして鍋の持ち手のような半円の形を浮かび上がらせる「鍋づる万灯」というお盆の送り火の行事が行われていました。このたいまつの火が枯れ草などに燃え移ったとみらています。例年、消防団が随行していましたが、新型コロナウイルス対策のため団員は離れた場所にいたという事です。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

日本が世界で一番コロナを“怖がる”理由とは……辛坊治郎がエコノミストと対論(ニッポン放送)

第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣氏が、8月12日のニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演、新型コロナウイルスの日本の経済への影響について解説した。欧米と比べ経済の戻りが遅れている日本内閣府が11日に発表した7月の景気ウォッチャー調査によると、景気に敏感な小売店主らに聞いた街角景気で、2,3か月先の景気の見方を示す「先行き判断指数」は、前の月に比べて8.0ポイント低い、36.0だった。 辛坊)どうですか。12日の株価も上がっているのですが、アメリカの株もそうです。日本の株も上がっています。何が起きているのですか。 永濱)アメリカの追加の経済対策の期待です。実は、日本の株も上がっているのですが、アメリカの株の上がり方と比べると弱いです。 辛坊)それはなぜですか。 永濱)背景としては、新型コロナウイルスで世界の経済は落ち込んだのですが、そこからの戻りを見ますと、日米欧で日本がいちばん遅れています。 辛坊)なぜでしょう。 永濱)感染者数を見ると、欧米の方が多いですが…… 辛坊)感染者数、特に死者の数は日本より2ケタくらい多いです。 永濱)ただ、国民性の違いもあると思うのですが、コロナに対する怖がり方が全然違います。もしかすると、一部メディアの影響もあるかもしれませんが。 辛坊)いやいや、それは二部、三部メディアの影響だと思いますよ…… 永濱)それで、かなり日本国民的に移動などに慎重になっています。正しく怖がれば経済とのバランスをとれる辛坊)最近になって感染者の伸びや死者の伸びを見ていたら、ヨーロッパはけっこう「やばくないか」という数字が出ています。日本の議論みたいに、ロックダウンに近いような緊急事態宣言で、国ごと閉じるかというと、そういう判断をする国はないですよね。少しずつ出始めているのが、国全体をロックダウンするのではなく、ピンポイントでロックダウンをしようという動きはですが、世界がロックダウンしたときのようなことをもういっぺんしようという国はいまのところないですよね。 永濱)ないと思います。 辛坊)あれはなぜですか。…

御堂筋線など一時運転見合わせ なんば駅で人身事故

 大阪メトロによると、16日午前7時50分ごろ、大阪市中央区の大阪メトロ御堂筋線なんば駅の上りホームで、千里中央行き電車(10両編成)と乗客が接触する人身事故があった。この事故で、御堂筋線と北大阪急行の全線が運転を見合わせていたが、午前9時5分ごろ再開した。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

そうめん、まだまだ楽しめる きじまりゅうた流プラス術

 8月も後半。昼の定番「そうめん」を食べ飽きることなく夏を乗り切るアイデアを、料理家・きじまりゅうたさん(39)に教わりました。「手間をかけずに食べ応えや風味をプラス」がポイントです。 8月8日に開いたオンラインイベント「きじまりゅうたとオンライン自由研究! 夏休みのそうめん大作戦!!」の内容をお届けします。記事の後半ではイベントの動画(約1時間)もご覧いただけます。  きじまさんは、料理経験の少ない人も無理がなく、日常に役立つメニューの提案を得意とする。「そうめんについてのお悩みは、食べ方に飽きてくることと、栄養バランスへの不安でしょう。おすすめは『ちょい足し』です」 拡大する きじまりゅうた ともに料理研究家の祖母・村上昭子、母・杵島直美から家庭料理を学ぶ。テレビの料理番組や雑誌、料理サイトなど幅広く活動(写真は西田堅一撮影)  まずは具材のちょい足し。食べ応えのある「たんぱく質」、食感もいい「野菜」、風味付けの「アクセント」の3分野で考える。「ツナとトマトとオリーブ油」「しらす干しとおろしたキュウリとすりゴマ」といった具合だ。家にあるものを、思い思いに組み合わせればいい。  さらに簡単なのはめんつゆへのちょい足し。市販のめんつゆを水で薄める代わりに豆乳や無塩のトマトジュースを使ったり、生卵を溶いたり。「トマトジュースの酸味とは相性がよく、溶き卵は卵かけごはんの要領で、子どもの頃に大好きな食べ方でした」  昭和の頃までの「東は冷や麦、西はそうめん」といった食の地域性は薄れてきたとはいえ、ふるさとの麺料理、ご当地そうめんもいろいろ。きじまさんが「そうめんをゆですぎた時の活用策にもなる」と言うのが、鹿児島・奄美大島の「油そうめん」だ。手近な野菜と多めの油で炒め合わせ、煮干しのだしも身も使うことでうまみたっぷり、ちゅるんとなめらかな口当たりに。沖縄のそうめん料理とも共通し、暑い地域ならではの知恵を味わうことができる。 そうめんの食べ方の工夫、具体的にご紹介していきます。 めんのゆで方、盛り方の工夫  めんをゆでる時は、たっぷりの… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会 - 朝日新聞デジタル

サイダー瓶投げ戦車に対抗 兵を脱出させた部隊長は自決

矢仁田繁人上等兵 ノモンハン従軍記  1939年8月20日に始まったソ連の総攻撃で、フイ高地にいた23師団捜索隊759人中、脱出できたのは269人だけ。その一人が、当時上等兵だった矢仁田(やにた)繁人だ。2015年に死去した矢仁田は09年5月、91歳だったときに熊本県山都町の自宅で取材に応じ、「フイ高地の戦いは今も忘れられんです」と語った。  8月20日、猛烈な砲撃が始まりました。ハルハ河が見える南の方角から撃ってきましたです。 拡大するノモンハン事件に従軍した当時の矢仁田繁人さん=本人提供  あんな戦闘は初めて。いや、あんな撃たれっ放しの戦闘は初めてでした。向こうの方が標高が高いですから、撃ち下ろす感じ。こちらが1発撃てば100発撃ち返されましたです。榴弾(りゅうだん)が多かったとです。ドンッとはぜるのと同時にバッと音がして、刀のように細長い鉄の破片をまき散らします。これに当たればおしまいでした。  陣地には、深さ1・5メートル… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会 - 朝日新聞デジタル

意識不明だった妻死亡 霊園で首絞めたとして夫逮捕(テレビ朝日系(ANN))

All Nippon NewsNetwork(ANN) 宇都宮市にある霊園で87歳の夫が89歳の妻の首を絞めて殺害しようとしたとして逮捕された事件で、意識不明の重体だった妻が死亡しました。  15日午前8時すぎ、宇都宮市中岡本町の霊園で「父が母の首を絞めて自殺を図った」と110番通報がありました。警察によりますと、「今から死ぬ、墓で死ぬ」などと連絡を受けた長男が霊園に駆け付けたところ、横たわった増渕チヨさんと、自ら首を紐で絞めて死のうとしている増渕昌容疑者を見つけたということです。妻のチヨさんは意識不明の重体でしたが、16日朝に死亡しました。警察は容疑を殺人未遂から殺人に切り替えて捜査する方針です。増渕容疑者は「妻は数年前に骨折して腰を悪くし、体調が悪い妻をかわいそうに思って殺そうとした」と容疑を認めています。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

「裏の飯島さんに召集が來た」14歳がつづった戦争の日常(西日本新聞)

 福岡県久留米市の中学明善校(現明善高校)OBの竹村逸彦さん(89)=東京都町田市=が、戦前戦後につづった日記を「軍国少年日記」として久留米市に寄贈した。1945(昭和20)年8月11日、214人が犠牲になった久留米空襲など、壮絶な体験が14歳の目で詳細に記されている。 【写真】ノートにびっしりつづられた日記八月三日(金)曇後雨 今朝は全く久しぶりに警報が出なかった。  今日も缺席(けっせき)。下痢は、きのふまでは、良くなってきてゐたのに、今日は又(また)悪くなった。九時頃までに便所に四回行った。  松本さんのところに本箱及(およ)び本を疎開させるので、客間の本箱二つを出して、その中に大事な本をつめて、あとの二つの本箱は、うちにおいて、その中には別に大事でない本を入れた。  裏の飯島さんに召集が來(き)た。もう四十三・四才位(さいくらい)の方だけれど。  午後は殆(ほとんど)ど便所に行かなかった。  父は今日宿直である。  今日は全く警報が出なかった。一体何日ぶりだらうか。  【注釈】この頃の食糧事情として、1945(昭和20)年8月3日の西日本新聞朝刊に「常食に活(い)かせ山菜類」という記事がある。決戦食確保のため利用できるものとして「ヒユ、イヌビユ、スベリヒユ、クローバー、アカザ、オオバコ」などのあえ物や油炒め。代用茶として「カワラケツメイ、萩の葉」など。動物性タンパク質として「食用蛙(がえる)はもちろん、普通の蛙の照り焼き」「蝗(いなご)のミンチボール」「蛇のてんぷら」「オタマジャクシの団子」などが「美味である」としている。八月四日(土)曇後小雨 今日はだいぶよくなって、便所は朝一回しか行かなかった。  十五時頃空襲警報が発令された。この二日間、沖繩(おきなわ)方面が暴風とのことで警報が出なかったので、久しぶりにサイレンを聞いたやうだ。小型機が久留米平野を通過したやうだ。  夕方三人で、きのふ松本さんの二階にあづけた本を整理し、且(か)つ又(また)、數(すう)十册(さつ)の本をもって行った。で、うちには、ほんのガラクタしかない。  僕は今日を加へて五日間缺席(けっせき)したが、山本君も、今日を加へて四日間休んださうだ。やはり腹痛ださうだ。工場の水道の水は、筑後川の水を直接引いたものだから、やはり僕と同じやうに生水をのんで腹をこはすのだらう。  國武(くにたけ)さんにおととひお借りした本をかへし、「遊びの理科研究」をかりた。  十五時空襲警報Source :…

夫婦2人だけの慰霊祭 不戦への思い、背景に「常に空腹だった」幼少期の記憶(西日本新聞)

 75回目の終戦の日を迎えた15日、北九州市小倉北区黒原の平和公園に一組の夫婦の姿があった。戦没者の遺族でつくる小倉南北区遺族連合会事務局長の宮崎賢二さん(77)と妻シヲ子さん(77)。同会は例年、終戦の日に平和公園で慰霊祭を催すが最近、参加者は宮崎さん夫婦を含めてわずかしかなく、今年は新型コロナウイルスの影響で中止。それでも夫婦は2人だけでも「慰霊祭」をやろうと足を運び公園内の忠霊塔前で黙とう。「戦争は幼かった私たちを苦しめた。二度とあってはならない」と不戦の思いを改めて強めた。  宮崎さん夫婦は結婚を決めた47年前、約束を交わした。「子どもたちには絶対に貧しい思いをさせない」。強い思いの裏には2人がそれぞれ経験した幼少期の記憶があった。  終戦時。ともに2歳だった2人。賢二さんは父一郎さんを戦争で失っていた。 一郎さんは、げた職人として一家を支えてきたが徴兵され、1945年6月14日、乗っていた護衛艦が沖縄近海で攻撃され、亡くなった。まだ34歳だった。 大黒柱を失った母政子さんは賢二さんと妹の順子さんを連れて実家に身を寄せた。政子さんは実家の農作業を手伝い朝から晩まで働いたが、生活は貧困を極めた。賢二さんは「魚や肉が食卓に並ぶのは月に一度あるかないか。常に空腹だった」と振り返る。  シヲ子さんは4人きょうだいの長女として今の門司区に生まれた。戦争に家族の命を奪われることはなかったが、終戦直後、父親は空襲で被害を受けた門司で仕事を見つけることが難しく、家族と離れ、大工として出稼ぎに行かざるを得なかった。敗戦の影響なのか生活は厳しく、母親も家計を支えるため魚の行商で働きづめ。シヲ子さんは仕事で忙しい両親に代わって炊事、洗濯などの家事をしながら、5歳下の妹と7歳下の弟の面倒もみた。厳しい日々だったためか、シヲ子さんは「子どもの頃のことは思い出したくない」と漏らす。 2人は知人の紹介で出会い結婚。賢二さんが29歳、シヲ子さんが30歳のときだった。賢二さんは製造会社で43年間働き、シヲ子さんは専業主婦として家庭を支えた。決して裕福ではなかったが2人の子どもは大学まで行かせた。  子育てを終え、小倉南区で暮らしながら遺族会の運営に尽力する賢二さんとシヲ子さん。今、心配するのは遺族会による慰霊祭が今後どうなっていくかだ。 遺族会の会員は約20年前は200人近くいたが高齢化で今は70人ほど。体が不自由な人が多く、慰霊祭への参加は一昨年は夫婦含めてわずか3人だった。台風に見舞われた昨年は今年と同様に中止だった。  「若い世代には日本が戦争をしたことさえ知らない人もいる」と2人。今回、2人だけでも「慰霊祭」を催したのは、継続することで今後、若い人の参加につながればとの思いもあるからだった。「来年も自分たちの体が動く限りやります」 (野間あり葉)Source : 国内 - Yahoo!ニュース

8.15「祈りのサイレン」実施に地域差 継承の一つ、苦情に配慮も(西日本新聞)

 75回目となる終戦記念日の15日、どこかで追悼のサイレンを耳にしただろうか-。戦没者を悼み、街中や集落で正午にサイレンが鳴り響く光景は、どの自治体でも見られるものではない。九州7県の県庁所在地と政令市の計8市のうち熊本や長崎など6市は終戦記念日に加え広島、長崎両市の原爆投下時刻にサイレンを鳴らすが、福岡、北九州両市ではない。戦争体験者が少なくなる中、75年前の「あの日」に思いをはせる機会の一つをとっても、地域差がある。 【画像】戦没者追悼のサイレンを巡る自治体の状況  「ウーーーー」。15日正午、うだる暑さの熊本市内にサイレンが1分間鳴り響いた。中心部の下通アーケードを歩いていた大学2年の村上公信さん(19)=同市北区=は足を止め、目を閉じた。「毎年しっかり黙とうをしていて、いい意識付けになっている。悲惨な歴史を繰り返してはいけない」と語った。 市によると、市役所本庁舎や公民館、公園など288カ所に設けるスピーカーでサイレンを鳴らし、ほぼ全域で聞こえるという。大西一史市長は、西日本新聞の取材に対し「戦争の記憶が薄れる中で語り継ぐことや受け継ぐことは行政の使命。サイレンは小さなことかもしれないが、継承の一つとして大事にしている」と語った。  被爆地・長崎市も市全域にあるスピーカー463カ所でサイレンを流す。原爆投下時刻の9日午前11時2分、サイレンに合わせて市民が街角で立ち止まり、犠牲者に黙とうをささげる姿が多く見られる。  自治体の中には地域を限定しているところもある。佐賀市は無線のスピーカーがある194カ所のうち、鳴らすのは126カ所。「平成の大合併」前の旧市内は市役所本庁舎でしか鳴らない。理由について担当課は「資料がないので不明だが、市民を驚かせないように配慮したのでは」と話す。 鹿児島市も市役所本庁舎と支所の計10カ所でしか流れない。それでも市民から「うるさい」と苦情が寄せられたことがあり、担当者は「趣旨は分かってもらえていると思う」と困り顔だ。  一方、サイレンが鳴らない福岡市。「豪雨時に聞こえにくい」として、そもそも屋外にスピーカーを設置していない。長崎原爆の当初の投下目標だった北九州市では、津波対策用のスピーカーが沿岸部にあるだけで、鳴らしていない。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

安倍総理と麻生副総理が会談 内閣改造など協議か(テレビ朝日系(ANN))

All Nippon NewsNetwork(ANN) 安倍総理大臣は15日、麻生副総理を自宅に招き、会談しました。今後の政権運営などについて意見を交わしたとみられます。  安倍総理の自宅で1時間ほどにわたった会談では、秋の内閣改造や自民党役員人事などについて協議した模様です。また、新型コロナウイルスへの対応をはじめ、今後の政権運営についても議論したとみられます。安倍総理は例年、お盆は山梨県の別荘で静養し、ゴルフなどを楽しみますが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、都内にとどまる予定です。Source : 国内 - Yahoo!ニュース