これって切り絵? オブジェ? 美しく不思議な風景の里

 浮かび上がるのは女性の横顔。夕映えを背景にした切り絵のようだ。絵になる風景が話題という、九州・福岡の糸島半島を訪ねた。 拡大する夕日を背に写真を撮る人たち=福岡市西区、吉本美奈子撮影 拡大する巨大ブランコを楽しむ女性=福岡市西区、吉本美奈子撮影  福岡県西部の糸島半島。サーフィンも楽しめる美しい海岸のそばにある高さ6メートルの黄色いブランコが「#ジハングン」の目印だ。 拡大する巨大ブランコを楽しむ男性たち=福岡市西区、吉本美奈子撮影  約1万平方メートルの有料駐車場に、女性の横顔やハート形の黄色のオブジェが並ぶ。車をとめたカップルや学生たちがスマホを構える。「初めての遠出のドライブだから」。福岡県岡垣町の専門学校生、朝倉みなみさん(18)は語った。 記事後半では、地元で人気のグルメスポット紹介や会員限定のプレゼントもあります。  美しい海と夕日で知られるのに… 980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

色々と自モン自答 くまモン10周年、実は大阪から人気

 今や熊本だけでなく、日本を代表するキャラクターの「くまモン」は今年デビュー10周年。愛らしく元気だけど、実は彼なりに「自モン自答」してきたんだ。そしていま――。無口なくまモンが一生懸命語ってくれたよ。(編集委員・東野真和) デビュー直後は東日本大震災  ――新型コロナウイルスの影響でイベントがすべて中止だね。日々、どうしているの?  くまモン「ダンスだモン。今できることをがんばってるモン!」  「早くみんなとむぎゅ~っとできるようになりたかモン!」  たくさん話さないくまモンに熊本県職員の四方田亨二(よもだきょうじ)さんが付き添って説明してくれました。  四方田さん「くまモンの魅力は、そのシンプルさと、訓練による俊敏な動きと愛らしいしぐさです。ゆるキャラにしては頭が小さめで運動神経がよく、やんちゃな男の子のような予想不可能な行動もみなさんをひきつけます」  「でも3月に開催予定だった誕生祭が延期されるなど、人と触れあっていません。新曲「かモン!くまモン!」のキレッキレッなダンスを見せる日を心待ちに、毎日練習を欠かしません。TVやユーチューブ、SNSなどでご覧ください」  ――デビューから10年間、つらいできごともいろいろ起きたね。  くまモン「最初からそうだったモン。でも、いつもみなさんがボクを応援してくまさるから、がんばれるモン!」  四方田さん「くまモンは、九州新幹線が全線開通する前年の2010年に、熊本を通過駅にしないためのPRの一環で誕生しました。しかし、開通前日の11年3月11日に東日本大震災が起き、大きなイベントがなくなり、募金活動の手伝いや被災地訪問などの活動が主になりました。そしてデビュー10周年の今年は新型コロナウイルス禍に。消費が低迷する県内の花き農家のために『お花を贈ろう、お花を飾ろう』といったPRや、感染防止のためにくまモンが手洗いするイラストなどを公表しました」 知事のひと言で出向いた街は…  ――そもそも最初は、どこで人気が出たの?  くまモン「大阪だモン。つらく… 980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら…

ペナルティのワッキーさん、がん治療で休養 ステージ1

 お笑いコンビ、ペナルティのワッキー(本名・脇田(わきた)寧人(やすひと))さん(47)が、中咽頭(いんとう)がん治療のため休養する、と所属する吉本興業が7日発表した。  吉本興業によれば、4月上旬に首にしこりのようなものを感じ、検査の結果、ステージ1の中咽頭がんと診断された。8日から7月下旬まで入院し、外科手術はせずに放射線化学療法を受ける方針という。休養は8月末までの予定。  ワッキーさんはツイッターで「世間様が大変な時期に自分の事ですいません。先月、自分の喉(のど)に癌(がん)がみつかり、中咽頭癌のステージ1と先生から伝えられました。そして明日6月8日から治療のため約2カ月間入院することになりました。また皆さまの前に元気な姿をお見せできるよう全力で頑張ってきます!」とのコメントを発表した。  同じくツイッターで相方のヒデさんは「ファンの皆様、関係者の皆様、ご心配をおかけしております。本人も前向きに治療に専念致しますので温かく見守って頂けたら幸いです。ワッキーの元気な姿と復帰後のギャグを楽しみに待っていて下さい。何卒(なにとぞ)宜(よろ)しくお願い申し上げます」と投稿した。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

新宿区の対策を「全国のモデルに」と西村氏(共同通信)

6/7(日) 17:16配信  西村康稔経済再生担当相は、保健所や業界団体と連携して感染防止策を進める東京都新宿区の取り組みを挙げて「全国のモデルとなるようにしたい」と語った。 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

関東 週明け以降も暑さが続く 東京で初の真夏日か(tenki.jp)

関東は、あす8日(月)以降も暑さが続くでしょう。東京都心では、今年初の真夏日になる可能性があります。 あすの天気 晴れて南風へ ムシムシ感が増す きょう7日(日)は、上空の寒気の影響で、明け方まで雨が残った所がありました。ただ、日中は高気圧に覆われて、青空が広がりました。最低気温は東京都心で17.4度と、朝は少しヒンヤリしましたが、日中は日差しとともに気温が上がりました。最高気温は東京都心で27.2度と、一週間連続で夏日となりました。あす8日(月)も、本州付近は高気圧に覆われる見込みです。大体晴れるでしょう。雲が一時的に広がっても、雨が降ることはなさそうです。最高気温は25度以上の夏日の所が多く、内陸部では30度近くまで上がる所もあるでしょう。きょうとは違って、東よりから南よりの湿った暖かい風に変わる見込みです。少しムシムシとした感じられる方も増えてくるでしょう。 暑さ続く 東京都心も今年初の真夏日か 10日(水)頃までは、本州付近は高気圧に覆われる見込みです。高気圧から暖かい空気が入るため、しばらく暑さが続くでしょう。東京都心でも、週明け以降は初の真夏日になる可能性があります。マスクをしていると、熱中症のリスクが高まります。近くに人がいないときは、マスクを外すなど、熱中症にならないようにお気をつけください。日本気象協会 本社 岡本 朋子 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

コロナ専門家会議、議事概要に発言者明記へ(共同通信)

6/7(日) 17:12配信  西村康稔経済再生担当相は7日の記者会見で、新型コロナウイルス対策の専門家会議の議事概要について、発言者を明記した上で公表する方針を決めたと明らかにした。 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

自分たちができることを…コロナ禍でも被災地で復興の“新芽”育てるホテル【福島発】(FNNプライムオンライン)

復興支えるビジネスホテルが思わぬ苦境に 福島県のJR富岡駅前にある「富岡ホテル」。オープン以来、約4万人の利用客を迎えた。【画像】富岡ホテルのロゴマークの「新芽」富岡ホテル 渡辺吏社長:このホテルをまるっきり素人から立ち上げて、この2年半はあっという間、このホテルのことだけを考えてやってきました社長の渡辺吏さん。今、新型コロナウイルスの影響で思わぬ苦境に立たされている。避難指示の一部解除をきっかけに、東日本大震災から約6年半後の2017年10月にオープンした富岡ホテル。創業メンバーは、渡辺さんを含め8人。震災前まで、地元で飲食店などを営んできた仲間。 新型コロナの影響で心配される復興の遅れ 震災と福島第1原発事故で、一時は全町避難を余儀なくされた富岡町。人口は今も1400人余りで、震災前の9%ほどにとどまっている。(5月1日時点)富岡町産業振興課・坂本隆広課長:ことしは、3月に常磐線の全線開通があったり、帰還困難区域の一部避難指示解除もあって、桜の名所・夜ノ森の「桜まつり」もあった。そこをチャンスとして、町内の状況を(避難中の町民に)発信するというのが一番ことしは期待していましたしかし、新型コロナウイルスの影響で、予定していたイベントなどは、相次いで規模縮小や中止に。さらに、住民の帰還を進めるために欠かせない町の整備や企業の誘致が足踏み状態となるなど、復興の遅れも心配されている。 先行き不透明の中、町民たちの言葉が心の支えに オープン以来、復興関連の事業などで多くの宿泊客が利用していた富岡ホテル。しかし、新型コロナウイルスの暗い影は瞬く間に広がり、3月と4月の予約はキャンセルが相次ぎ、売り上げも大きく減少した。富岡ホテル 渡辺吏社長:4月の時点での赤字幅だったら、1年続いてもなんとか。でも5月。5月の時点は、その3倍くらいの赤字になる可能性もある…。世の中って何があるかわからないのを痛感した。震災も経験して、今回も経験して先行きが見えない中、心の支えになっているのは、ホテルを開業した時に町民たちからかけられた言葉だった。富岡ホテル 渡辺吏社長:「お前たちがそこで頑張っている姿を見て、応援しているからね」という言葉を結構かけてもらったホテルの常連客からも、「フロントの人も親切で、料理もおいしいし最高です。第二の家庭みたいな感じ」、「これからもお一人お一人新型コロナウイルスに負けないように頑張ってほしい」などのエールが。富岡ホテルのロゴマークは、町のシンボルでもある桜の「新芽」。そこには、創業メンバーの強い決意が込められている。富岡ホテル 渡辺吏社長:これから、どんどん新芽から育って咲いていく。これが満開だというのは、多分ない。常に危機感を持って、自分たちができることをしっかりやっていくしかないのかなと思う新芽を育て上げ、いつか故郷に大輪の花を咲かせたい。“アフターコロナ”を見据えて、今は試練の時が続いている。(福島テレビ)福島テレビ 【関連記事】 Source : 国内 -…

デリヘル関係者が語った「宣言中」と「解除後」  都内以外で営業続けた理由と風評への「思い」 (J-CASTニュース)

 東京都では、新型コロナウイルスをめぐる緊急事態宣言が解除されたものの、再び「夜の街」で感染者が増加傾向にあると小池百合子都知事が言及するなど、関係業界の厳しい状況は続く。 「夜の街」といってもイメージに浮かぶ業界は幅広いが、J-CASTニュースは今回、関東でデリヘル業者に勤めるスタッフに話を聞いた。東京などで緊急事態宣言が出た2020年4月上旬から5月下旬に解除されるまでのどん底をどう生き抜いたのか。スタッフが語った本音とは。■「生活のために」と割り切るケースも 取材に応じたAさんは、関東で人妻系デリヘルを経営する企業で店舗統括の仕事をしている。関東一円に直営店が15店舗とフランチャイズ店、従来は1店舗あたり10~20人のデリヘル嬢が出勤していた。 緊急事態宣言中、東京都内の店舗は営業を休止していたが、他県では営業を続けた。休業要請は各府県からも出ていたが、こういう状況下でも稼がなければいけない従業員もいたから、と営業を続けた。休業した東京都からの休業補償にしても、貰えたかどうかはわからないとAさんは話す。 4月頃からの売り上げは例年の4割程度に減少し、常連客相手にしのいでいた。6月上旬の段階で「ようやくここ1~2週間」で、客足は戻りつつある。 最前線で感染リスクを抱えたデリヘル嬢たちだが、新型コロナを「怖い」といっている人は半分程度の割合で、生活のためにこの仕事を続けざるを得ない、と割り切るケースも少なくなかったそうだ。ただ、人妻系デリヘルのため、学校の一斉休校の影響で自宅で子どもの面倒を見なければならず、出勤を止めた人もいたとAさんは語った。 「お客さんがウイルスを持っていたら...というリスクは当然心配していましたし、感染者が出れば休業する覚悟でいました」というAさん。従業員の出入りについて聞くと、辞めた例はないが、生活のためにデリヘルを新たに始めざるを得なかった人は若干いたとも話す。また、勤めていたソープランドが閉店したため、デリヘルに「転職」してきた女性もいるという。Source : 国内 - Yahoo!ニュース

明日8日(月)の天気 西日本や東海で暑さ続く 北海道は一時的に雨(ウェザーニュース)

■ 天気のポイント ■ ・西日本から東海は暑さ続く・関東は午後にかけて晴れてくる・北海道は雲が多く、一時的に雨 明日8日(月)は西日本や東海は引き続き高気圧に覆われて暑さが続きます。 午前中は雲が多い関東も、次第に晴れてくる見込みです。 上空の気圧の谷の影響を受ける北海道は一時的に雨の降る所があります。 西日本から東海は暑さ続く  西日本から東海は高気圧に覆われて朝から強い日差しが照りつけます。 今日7日(日)と同じように気温が上がって、昼間は広い範囲で30℃以上の真夏日の予想です。 内陸部は35℃に迫る所がありますので、引き続き熱中症対策が必須です。 関東は午後にかけて晴れてくる  午前中は雲が広がるものの、午後にかけて天気は回復傾向です。 次第に日差しが届いてきます。 日差しが届くとともに気温が上がって、25℃を超える予想。 内陸部では30℃前後の暑さになります。 北海道は雲が多く、一時的に雨  北海道は雲が広がりやすく、昼前後は一時的に雨の降る所があります。 長く降り続いたり、強く降ることはないものの、外出時は傘があると安心です。ウェザーニュース 【関連記事】 Source : 国内 -…

本能寺の変後、明智軍と信長軍が船戦 伝説生んだ戦いか

 天正10(1582)年6月2日、本能寺の変で織田信長が家臣の明智光秀に討たれた。その直後、明智軍と信長軍が琵琶湖で船戦(ふないくさ)をしたことを記す古文書が、石山寺(大津市)で見つかった。明智軍を率いたのは明智秀満(左馬助(さまのすけ))。愛馬に乗って琵琶湖を渡った「湖水渡り」の伝説で知られるが、関連資料は少なく貴重な発見という。  秀満は光秀の女婿やいとこの説があり、「明智五宿老」と呼ばれた重臣の一人。本能寺では先陣となり、光秀が羽柴(豊臣)秀吉に敗れた「天下分け目」の山崎の合戦後、光秀の居城・坂本城(大津市)で自害した。  古文書は、石山寺と関係が深かった武将の山岡景以(かげこれ)が先祖の由緒を記した「山岡景以舎系図(いえのけいず)」(縦27センチ、横119センチ)。1591年に記し、江戸時代に書き写された。瀬田城(大津市)の城主だった父・景隆(かげたか)の活躍を記録した箇所に、秀満は通称「弥平次」の名で登場する。  古文書によると、本能寺の変の後、光秀は秀満に命じて安土城を奪おうとする。これに対して景隆は都から迫る明智軍に「勢田(瀬田)橋を焼落す」(読み下し文)。行く手を阻まれた秀満は「船に乗って湖上を済(わた)らんと欲する」(同)が、景隆は兵を率いて湖上で応戦。家来を討ち取られた秀満は先に進めなかった――という。  景隆が瀬田橋を焼いて進軍を阻止したことは信長の一代記「信長公記(しんちょうこうき)」に記されているが、明智軍を秀満が率いたことや船戦になった記録はなかった。  古文書を調べた滋賀県文化財保護課の井上優主幹は「戦の当事者の息子が、生きている時の出来事を書いたので信用性は高い」と話す。その上で、秀満の「湖水渡り」の伝説は、元となる史料がないことから「今回の船戦が伝説につながった可能性がある」とみる。  湖水渡りは、本能寺の変の11… 980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル