リモートでの慰霊登山も可能に 日航機墜落、38回目の夏の御巣鷹

有料記事吉村駿 山田みう 角詠之2023年8月12日 21時30分 日本航空(JAL)のジャンボ機墜落事故から38年となった12日、群馬県上野村にある墜落現場「御巣鷹の尾根」には、遺族ら272人が慰霊登山に訪れた。コロナ下で参加者は4割前後減っていたが、コロナ前と同じ水準に戻った。 ふもとの「慰霊の園」であった追悼式典では墜落時刻の午後6時56分にあわせ、犠牲者数と同じ520本のろうそくに火がともった。高校時代の親友・富田真理さん(当時21)を失った甲府市の会社員若月明子さん(59)は「風化するのが一番良くない。忘れられるのだけは避けたい」と話した。 JALの赤坂祐二社長は式典で「二度とこういう事故が起きないよう、今までも、これからも、しっかり努力を続けていく」と話した。スマホでビデオ通話も この日の慰霊登山では、周辺…この記事は有料記事です。残り282文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

19歳男子大学生、溺れて死亡 「鳴き砂」の海水浴場 京都・京丹後

2023年8月12日 21時42分 12日午後3時半過ぎ、京都府京丹後市網野町掛津(かけづ)の琴引浜掛津海水浴場で、同府京田辺市の男子大学生(19)が溺れた。 京丹後署によると、一緒に来ていた大学生の友人が周囲に助けを求め、近くにいたサーファーが海底に沈んでいた大学生を見つけて救助したが、搬送先の病院で死亡が確認された。 京丹後市観光公社によると、同海水浴場は遠浅で、踏むと音がする「鳴き砂」で知られる。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

ハイカーを誘う珍奇貴重な高山植物 盗掘に目を光らせる森林官

 水分を多く含む潮風が、ハイカーの頰を打ちつける。日本の最北端、北海道稚内市の西に位置する礼文島。島北部のゴロタ岬に続くトレイル(小道)は未舗装で、一度雨が降るとぬかるみになる。それでも、左右に広がる高山植物のパッチワークがハイカーの心を鼓舞する。【撮影ワンポイント】礼文島トレイル 風景をくっきりと写そうと、レンズの絞り値はf16から始めた。木々が少なく、遠くまで見通せる大地の広大さ。丘陵の標高差に感じる迫力。海と空の広がり。これらを追体験して欲しかった。難点は肖像権。訪れた人に撮影許可を得ては、道を先回りしたり後戻りしたりして絶景とともに撮影した。ご協力に感謝します。(角野貴之) 観光客が主に訪れるのは、南部にある標高225メートルの桃岩展望台。多くのハイカーがここからトレイルに入る。海の向こうに見えるのは、利尻島の利尻富士。8月はツリガネニンジン、トウゲブキ、チシマワレモコウ、イブキジャコウソウ、下旬からはリシリブシ、ハンゴンソウ、ヤマハハコ、チシマリンドウなどが島内各地で見頃だ。うたわれた「世界的の好適地」 トレイルは利尻礼文サロベツ…この記事は有料記事です。残り709文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「東洋一」の兵器工場襲った3千発の爆弾 あの日に起きたこと伝える

 78年前、「東洋一」と称された兵器工場は空襲に見舞われ、若者ら多くの命が無残に失われた。終戦の約1週間前のあの日の空襲で何があったのか――。減りゆく空襲体験者らの記憶を聞き取り、次代に伝えるために書き残していく活動を続ける人たちがいる。 1945年8月7日午前10時過ぎ、愛知県豊川市の上空に100機を超える米軍のB29爆撃機が飛来した。狙いは、186ヘクタールの敷地に海軍の兵器工場が集積する「豊川海軍工廠(こうしょう)」だ。250キロ爆弾が3千発以上落とされた。市によると、2500人以上が亡くなったという。 「爆弾がどんどん落ちてね。バーンと落ちると大きな穴が開くでしょう。私はその中へドドドと入っちゃって、そこからまた這(は)い上がって逃げたりしてそれが思い出です。そしたら隣の人はもう首がない、足がない」 静岡県内の高等女学校からの動員学徒だった浜松市在住の女性(94)は、あの日をそう振り返る。 女性の証言は市民グループ「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」が今年3月に発行した会報「けやき」に掲載された。「77年かけてやっと書けた」という体験記 今年2月に亡くなった東京都…この記事は有料記事です。残り742文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

戻ってきた「踊る阿呆に見る阿呆」 阿波踊り開幕 20万円の席も

内海日和 杉山匡史2023年8月12日 19時19分 真夏の風物詩、徳島市の阿波踊りが12日、開幕した。新型コロナウイルスが5類に移行し、通常に近い開催となった。出演を見送ってきた「踊る阿呆(あほう)」の姿が戻り、国内外から「見る阿呆」も多数訪れて、笛や太鼓、鉦(かね)などの鳴り物にかけ声が合わさった本調子の「ぞめき」を楽しんだ。 午後6時、JR徳島駅に近い藍場浜演舞場で、編み笠に着物姿の踊り手たちが一糸乱れぬ群舞を披露してスタートした。 1席20万円のプレミアム桟敷席が初めて設けられ、外国人観光客らが畳敷きに座椅子を置いた特別な空間で、踊りの熱気を感じながら阿波尾鶏や阿波牛を使った特製料理に舌鼓を打った。 コロナ対策を施して開催された昨年夏は、踊り連から800人を超える感染者が出た。教訓を踏まえ、踊り手の控室のスペースを広げ、空気清浄機を増設して感染防止に努めている。(内海日和、杉山匡史)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

日航機墜落から38年 御巣鷹の墓標に花供え「また一緒にビールを」

有料記事山田みう 川村さくら 吉村駿2023年8月12日 16時00分 日本航空(JAL)のジャンボ機が1985年に墜落し、乗客・乗員520人が亡くなった事故は12日、発生から38年を迎えた。全国から集まった遺族らは朝から、墜落現場となった「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に慰霊の登山へと向かった。 尾根は標高1500メートル超。周囲に支えられながら杖を使う高齢者や、事故後に生まれた若い世代の姿もあり、遺族らは登山道や斜面に立ち並ぶ墓標に花を手向け、手を合わせた。「また一緒に飲みたい」 義弟の小沢孝之さん(当時2…この記事は有料記事です。残り366文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

シカ用では強度不足?ツキノワグマが「箱わな」脱出、天井こじ開ける

青木康行2023年8月12日 16時00分 イノシシやシカを捕獲するための「箱わな」にかかったクマが逃げ出す瞬間を兵庫県丹波市青垣町の大西伸弘さん(65)が撮影した。クマはわなの天井を壊した後、裏山へ逃げていったという。 大西さんは元県立柏原高校長で丹波市生涯学習推進員。7月26日午前5時半ごろ、自宅の台所にいたら、外でガチャガチャと大きな音がした。外へ出てみると、体長1・2メートルくらいのツキノワグマがわなにかかっていた。 クマが頑丈なわなを壊すとは思いもしなかったので、急いで自宅からスマートフォンを持ち出した。撮影しようと約10メートルまで近づいた時、突然クマは立ち上がり、天井を胴体が通れるまでこじ開けた。柵をよじ登ってわなから抜けだし、裏山へ逃げていった。 大西さんに危害はなかった。「クマの顔が葉っぱで隠れ、目が合わなかったのが幸いしたのでしょうか」。わなから逃げ出す瞬間、1枚だけシャッターを押していた。 イノシシやシカの食害対策用に県などがわなを設置していた。大西さんは栗や柿の枝をクマが折ったとみられる痕跡は見たことがあるが、クマそのものを見たのは初めてだったという。(青木康行)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

孤独であきらめかけた空手の道 居酒屋バイトで手にした縁に救われた

 8月5日、東京の日本武道館。田畑梨花(たはたりんか)(22)は、全日本空手道体重別選手権に臨んだ。ちょっとしたスキで勝敗が決まる、厳しくも繊細な武道である。 女子個人組手50キロ級。3~4人が総当たりのリーグ戦を戦い、それぞれの1位が準々決勝に進む。 リーグ戦で田畑は攻めた。突き、蹴りが決まる。ポイント数で圧倒した。 準々決勝までの間、田畑は空手をあきらめかけた「昔の自分」を思った。 兵庫県宝塚市に生まれた。5歳のとき、近所で体操をしているところがあると聞き、体験に行くと、そこは空手の道場だった。 空手が強い中高一貫の私立学校に入学し、高校で伸びた。クロアチアやカザフスタンの大会で優勝するなど、世界を転戦して勝利を重ね、18歳以下のポイント数で世界1位になった。 田畑は大学に進み、関西学生で優勝。世界のリーグで3位になった。世界一を狙える位置にまで来た。 ところが……。 2020年。コロナの感染拡大で、学生に外出禁止が命じられる。国内試合が中止になる。海外の試合に出場できず、ランキングのポイントが下がっていく。 焦る。家で蹴りを練習していたら、床を壊した。 そして大学4年生になった。コロナが落ち着いてきた22年秋、国内大会に出るが、成績が残せなかった。 〈孤独だ。もう限界や〉 翌23年1月、ギリシャで国…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

歴戦の兵士は「抜け殻」になった 戦場で父に何が…解かれ始めた封印

【動画】復員兵だった父について語る黒井秋夫さん=後藤遼太撮影 1本のホームビデオがある。 「おじいちゃん、ピースしてくれ。早くしてくれよう」 幼い男の子の無邪気な声に、無言で目をそらす白髪の男性の姿が映る。 黒井秋夫さん(74)の父・慶次郎さんの晩年の姿だ。「無気力で、そこにいるかいないかも分からないようなおやじでしたよ」。もはや「抜け殻」と呼ぶしかないような人間だった、という。 黒井さんは山形県庄内地方の小さな村で生まれ育った。両親と兄、弟の5人家族。 生活は常に苦しかった。中国戦線からの復員兵だった父は、定職に就かず日雇いの現場を渡り歩いた。 異様だったのは、父が家族とさえ口をきかなかったことだ。自分から言葉を発せず、問われれば一言二言、単語をかえすだけ。悲しげな困惑の表情で黙り込み、笑顔など見せたこともなかった。 近所の子どもは「六尺おやじ」と呼んだ。六尺(1・8メートル)の言葉通り、確かに大柄だったが、親しみを込めた呼び名でないことは子ども心にも分かった。むしろ、侮蔑の響きがにじんでいた。 「うどの大木……、言ってみりゃ、『でくのぼう』ってことですよ」 奨学金で大学に進んだ黒井さんは学生運動に身を投じた。社会人になると、しゃにむに働いた。「あんな男だけにはなるまい」。その一心だった。 晩年まで誰とも口をきかず、家に引きこもった父は、1990年に77歳で亡くなった。黒井さんは涙一つ、流さなかった。「何の感情もわかなかったんだ」 父を思い出すこともなく、年月が過ぎた。 2015年末、黒井さんはふとしたきっかけで、ベトナム帰還兵のドキュメンタリー番組を見た。 アレン・ネルソン(故人)。18歳で海兵隊に入り、ベトナムで多くの敵兵を殺害して四つの勲章をもらった。 帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむようになる。毎晩のように悪夢で戦場の記憶がよみがえり、家族を怒鳴りつけた。ホームレス生活も経験し、立ち直るまで18年かかったという。 何年も忘れ去っていた父の顔が突然、黒井さんの脳裏に浮かんだ。悪夢、酒浸り、家族への暴力――。過酷な戦争体験からトラウマを抱え、後遺症に悩む旧日本兵たちの存在は置き去りにされてきました。ようやく語れるようになった子や孫の証言から、連鎖する心の傷の問題を考えます。 「父は…中国人を殺さなかったはずがない」 「戦場は地獄だ」と話す帰還…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

モニターから消えた123便 墜落事故を知るJAL社員が託す覚悟

 羽田空港の日本航空(JAL)のカウンターはお盆の帰省客でごった返していた。 夏休みの一人旅だろうか。カウンターの前で、小学校低学年くらいの男の子が心細そうに母親にくっついていた。 発券を担当していた伊藤由美子さんは「すごいね、一人で飛行機に乗るんだね」と声をかけた。 男の子は緊張した様子で押し黙ってしまった。代わりに母親が答えた。 「きょう初めての一人旅なんです」 「すごいね、いってらっしゃい」 そう言って、男の子を送り出した。 午後6時半ごろだっただろうか。さっき発ったばかりの大阪行きの便が羽田に引き返してくるとの連絡があった。「後方のドアの不具合」だという。モニターの到着予定の欄に「123便」と表示されていた。 「500人以上の乗客を新幹線に振り替えられるかな」。そう思いながら発券作業を続けていると、カウンター越しに男性客が声をかけてきた。 「いま、NHKで『日航機がレーダーから消えた』ってテロップが流れたんだけど、本当?」 嫌な予感がした。もう一度、モニターを見た。さっきまであった「123便」の表示が消えていた。不安に包まれ、体中に震え 「確認します」と言ってカウ…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル