ニュース

西九州新幹線「かもめ」が海から長崎に 今年秋に開業予定

榎本瑞希2022年1月9日 17時00分 JR九州が今年秋に開業予定の西九州新幹線(武雄温泉―長崎)で使用する新型車両「かもめ」が9日、海上輸送を経て長崎県川棚町の川棚港に陸揚げされ、歓迎式典があった。 式典は県主催。沿線自治体の首長やJR役員ら約150人の前で、港に接岸した台船から先頭車1両をクレーンでつり上げ、陸上の台車に乗せかえた。 長崎県の中村法道知事は「開業は交流人口の拡大のみならず地域の活性化、産業振興にも大きなチャンスだ」とあいさつし、JR九州の青柳俊彦社長は「地元の期待や準備に応えるべく、新幹線を安定的に安全に運行していきたい」と述べた。 「かもめ」は日立製作所笠戸事業所(山口県下松市)で製造され、6日夕から海上を輸送されてきた。今後、トレーラーでJR九州の大村車両基地(長崎県大村市)に運ばれ、試験走行に備えて点検や整備を受ける。(榎本瑞希)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

豊洲、新宿、秋葉原、街を歩いて聞こえてきた東京の10の音

【動画】記者が選んだ東京の音10選 東京を歩くと、様々な音が聞こえてきた。朝のラッシュ、交差点の雑踏、頭上を飛び交う鳥のさえずり。1400万人が暮らす首都には、人の数だけ音がある。積み重なったそれは、シンフォニー。「東京」と聞いて、あなたが思い浮かべる音は何ですか。生鮮マグロの競り。売買人のかけ声が場内に響いた=2021年12月2日、東京都江東区 2018年10月に開場した豊洲市場(江東区)。83年続いた築地市場から移転し、19年の水産物取扱額は3972億円で国内最大規模を誇る。19年の新年の初競りでは、青森県大間産のマグロ278キロが史上最高値の3億3360万円(1キロ120万円)で落札された。仲卸業者「やま幸(ゆき)」の山口幸隆社長(58)は競りに参加して37年。「欲しいマグロの時は、今でも鐘の音を聞くとドキドキするね」月島もんじゃヘラが鉄板をたたく音も、耳に心地いい=2021年12月3日午後6時14分、東京都中央区月島1丁目、横山輝撮影 もんじゃと言えば月島(中央区)。専門店が増えたのは、実は平成に入ってからだ。力士が登場する朝の連続ドラマや、都営大江戸線の全線開通(2000年)が背景にある。昭和30年代には四つしかなかった店が、いまや80以上。最古参のひとつ「バンビ」の松井勝美さん(71)は、「お袋が店を始めたころは、こんなはやるなんて思ってなかったみたいよ。ありがたい話だよ、本当に」。羽田空港。展望台では滑走路に離着陸する旅客機を撮影する人々がいた=2021年12月2日、東京都大田区羽田空港3丁目 航空機の着陸回数が日本一の羽田空港(大田区)。国内線、国際線が乗り入れ、新型コロナの感染拡大前の2019年度は約22万6千回着陸した。20年度は約11万3千回と半減したが、最多だった。展望デッキから、絶え間なく離着陸する様子が見える。機体にレンズを向けていた神奈川県藤沢市の小川英利さん(66)は「エンジン音は心地よい響き。この低音を聞くとわくわくします」。時の鐘。時刻を知らせる合図を3回打った後、正午を告げる鐘の音が12回響いた=東京都台東区、御船紗子撮影 上野公園内にある寛永寺(台東区)の「時の鐘」。1669年に設けられ、松尾芭蕉が「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠んだ。寺によると、現在の鐘は1787年につくられ、毎日午前6時、正午、午後6時の計3回、時を告げる。寺職員の小林円観さん(47)は「スマホを見れば時間がわかる便利な現代に、江戸時代から変わらない音を聞くと、自然と歴史へ思いをはせてしまいます」。秋葉原のゲームセンタークレーンゲームで遊ぶ女性。何度かチャレンジしたが、目当ての景品はとれなかった=2021年12月17日、東京都千代田区のセガ秋葉原1号館 ビル1棟丸ごとなど、大規模なゲームセンターが乱立する秋葉原(千代田区)。秋葉原観光推進協会によると、1990年代から電器店の跡地に入るようになったという。セガ秋葉原1号館へ友人と訪れた高校3年の清野大地さん(18)は「店内の音を聞くだけで『来たー!』て感じ」。普段はオンラインゲーム派。ゲーセンの魅力は対戦相手の顔が見え、健闘をたたえ合えることという。竹芝埠頭大島行きの高速ジェット船。キャリーケースなどを引きずる人々が次々と乗り込んだ=2021年12月6日、東京都港区 1934年完成の竹芝埠頭(ふとう、港区)。全長約470メートルの桟橋に伊豆・小笠原諸島へ向かう客船が停留している。東海汽船によると、伊豆諸島間の乗降客数はコロナ前の年間約70万~80万人から一昨年は約37万人に(横浜発など含む)。仕事で立ち寄った男性(63)が船を眺めていた。ダイビングや釣りが趣味で、休みさえあれば離島で過ごした。汽笛が鳴った。「また行きたいね」とつぶやいた。渋谷のスクランブル交差点。歩行者用の信号が青になると、どっと人が流れ込み、靴音が響いた=2021年12月1日、東京都渋谷区道玄坂1丁目 10カ所に設置された信号が青に変わると、スクランブル交差点(渋谷区)に人が流れ込んだ。信号が変わるまで、約47秒間。渋谷センター商店街振興組合によると、「多い時で約3千人」が渡るという。交差点に近い薬局の男性店員(53)は、新型コロナの影響で「今は1千人いるかいないか」と話す。コロナ前は英語や中国語など多くの外国語が飛び交った。「早く活気が戻ってほしい」改札から出た通勤・通学客がそれぞれの行き先へと急いだ=2021年12月3日午前8時27分、東京都新宿区 1日の平均乗降客数が350万人超で「世界で最も忙しい駅」と2018年にギネス世界記録に認定された新宿駅(新宿区)。JR東日本など5社、11路線が乗り入れる。駅とその周辺は2040年代を見据え、都や区などが大規模な再開発の計画を進める。大学進学で山形市から上京した千場優輝さん(18)は「靴も歩幅も違うのに、規則性があるように聞こえる。朝のラッシュは東京に来た感じがする」。鳥の鳴き声が心地よい高尾山。紅葉も鮮やかだった=2021年12月2日午後1時53分、東京都八王子市高尾町、横山輝撮影 都心から日帰りで山歩きが楽しめる高尾山(八王子市)。季節によって異なるが、多いときには十数種もの鳥が頭上を飛ぶ。ふと見上げても、素早く移動する鳥を見つけるのは難しい。鳴き声だけが、良く聞こえる。昨年12月に訪れた国分寺市の女性(61)は「最初は紅葉に気を取られちゃって。でも気づいたら、たくさんの種類の鳴き声が聞こえた」。自然の中に入ったと、実感したという。払沢の滝払沢の滝=2021年12月1日午後4時38分、東京都檜原村、横山輝撮影 大小合わせ、50以上の滝がある檜原村。「払沢(ほっさわ)の滝」は都内で唯一、「日本の滝百選」に選ばれている。全体の落差は62メートル。遊歩道から見えるのは、最下段の20メートルほどと全体の三分の一だが、近づくと流水の音が腹に響く。村観光協会の川端恵美さん(58)は滝のすぐ近くに住み、よく散歩に出る。「山に入るとまず『外界』の音が絶たれる。徐々に滝が現れる。その迫力はすごいものです」東京10音Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

サンタさんって何?やせこけた幼い姉妹 新しい両親が教えてくれた

 松山市で暮らす中学生と小学生の姉妹は、やさしいお父さんとお母さんが大好き。よく家族旅行に行き、誕生日やクリスマスにはお祝いをして、家でおいしいご飯を食べる。仲良しの友達がいる学校も楽しい。 そんな今の幸せとは違う、ちょっとさみしい記憶が、姉妹にはかすかに残っている。 中学3年の姉(15)は小さいころ、家に保育園の先生が迎えに来ていたのを覚えている。 着替えさせてくれたのは、親ではなく先生だった。分け合った一皿のカレー、歯はすべて虫歯に 小学6年の妹(12)も、いつもお姉ちゃんがそばにいてくれたことを覚えている。 一皿のカレーを温め、2人で分けて食べた。親にだっこしてもらった記憶はない。 姉妹は幼いとき、香川県に住んでいた。 生みの母親のネグレクト(育児放棄)で児童相談所に保護された。 今のお母さん(44)とお父…この記事は有料会員記事です。残り1228文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「捕まって死刑になれば…」焼き肉店立てこもり、容疑の男が供述

2022年1月9日 12時40分 東京都渋谷区代々木1丁目の焼き肉店で8日夜、刃物のようなものを持った男が、男性店長(49)を人質に立てこもる事件があった。警視庁は9日未明、店内にいた荒木秋冬(あきと)容疑者(28)=住所・職業不詳=を逮捕監禁の疑いで現行犯逮捕し、発表した。捜査員が店内に突入して取り押さえたという。店長にけがはなかった。 荒木容疑者は経緯について「約2週間前に長崎県の自宅を出て、都内で路上生活をしていた。生きている意味が見いだせず、死にたいと考えた。大きな事件を起こし、警察に捕まって死刑になればいいと思った」と説明。「どこの店でもよかったが、逮捕前に焼き肉が食べたかったので、そうしてから立てこもった」などと供述しているという。 捜査1課によると、店長から8日午後9時ごろ、「客から『爆弾を起動した。警察に連絡しろ。騒ぐな』と記載されたメモを渡された」との110番があった。店の出入り口にはバリケードのように椅子が並べてあり、男が店長を人質に立てこもっていた。男は捜査員に「人生を終わらせてくれ。死刑にしてくれ」と話したという。 捜査員らは店長を解放して外に出てくるよう説得を続け、9日午前0時ごろ、隙を見て店長を裏口から救出し、直後に店内に閃光(せんこう)弾を投げ入れて突入した。警視庁によると、荒木容疑者は手に牛刀(刃渡り約30センチ)を持ち、ポケットに果物ナイフを入れていた。箱状の物も三つ持っており、「見せかけの爆弾だ」と説明したという。店長と面識はなく、同庁が経緯を調べている。 現場はJR代々木駅からすぐの場所で、近くには明治神宮や新宿御苑がある。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

花束は不要でも贅沢でもなかった 東京大神宮の参拝中止がつないだ縁

 フラワーショップ「lonmme bouquet」は、東京大神宮(東京都千代田区)から徒歩1分の距離にある。 幼い頃から花が好きだったhaccoさんが昨年11月、ひとりで始めた店だ。 違う職種に就きながら、週1~2回の生花店でのアルバイトを経て独立。 花関係の人たちからは「なんでコロナ禍のこの時期に」と心配された。 それでも、独立するタイミングは今だ、という気持ちは揺るがなかった。 東京大神宮の近くに店舗を構えた理由は、大家さん夫婦の人柄。 隣の喫茶店の経営者で、内覧時に感じた優しさや雰囲気の良さが決め手になった。 壁のペンキ塗りなど、内装はすべてhaccoさんが手がけた。 仕入れる花も自分が一目ぼれしたものを中心に、自らの目で確認して納得したものだけを並べている。参拝中止のニュースが 開店して2カ月ほど経った今月3日、「東京大神宮の一般参拝中止」というニュースが流れてきた。 職員が相次いで新型コロナウイルスに感染したためだ。 年末とお正月は、生花店にとって繁忙期。 多くの人が訪れる大神宮通りが少しでも華やかになるよう、たくさんの花を仕入れていた。 店内を埋め尽くすほど仕入れ…この記事は有料会員記事です。残り1001文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「人生終わりにしたかった」焼き肉店立てこもり、容疑の男が供述

2022年1月9日 10時51分 東京都渋谷区代々木1丁目の焼き肉店で8日夜、刃物のようなものを持った男が、男性店長(49)を人質に立てこもる事件があった。警視庁は9日未明、店内にいた荒木秋冬(あきと)容疑者(28)=住所・職業不詳=を逮捕監禁の疑いで現行犯逮捕し、発表した。捜査員が店内に突入して取り押さえたという。店長にけがはなかった。 荒木容疑者は「警察に捕まって人生を終わりにしたかった。どこの店でもよかったが、逮捕前に焼き肉が食べたかったので、そうしてから立てこもった」などと供述しているという。 捜査1課によると、店長から8日午後9時20分ごろ、「客から『爆弾を起動した。警察に連絡しろ。騒ぐな』と記載されたメモを渡された」との110番があった。店の出入り口にはバリケードのように椅子が並べてあり、男が店長を人質に立てこもっていた。男は捜査員に「人生を終わらせてくれ。死刑にしてくれ」と話したという。 捜査員らは店長を解放して外に出てくるよう説得を続け、9日午前0時ごろ、隙を見て店長を裏口から救出し、直後に店内に閃光(せんこう)弾を投げ入れて突入した。警視庁によると、荒木容疑者は手に牛刀(刃渡り約30センチ)を持ち、ポケットに果物ナイフを入れていた。箱状の物も三つ持っており、「見せかけの爆弾だ」と説明したという。店長と面識はなく、同庁が経緯を調べている。 現場はJR代々木駅からすぐの場所で、近くには明治神宮や新宿御苑がある。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「丁寧に造りすぎた」巨大な布袋さん 全部が稲わら、祈る経済回復

菊地洋行2022年1月9日 11時04分 三重県松阪市飯南町下仁柿の国道368号沿いに、七福神の一人、布袋さんの稲わら巨大モニュメントがお目見えした。地域活性化の目玉にと、仁柿住民自治協議会が2016年から稲わらで造形制作を始めて6体目。コロナ禍で痛んだ経済が上向いて欲しいとの願いが込められている。 布袋さんは高さ約6メートル、胴回りは最大約11メートル。木材の骨組みを竹で覆い、腹や顔の曲線を表現した。直径3センチの束にした稲わら約7千束を使っているという。昨年10月末から、中心メンバーら8人が週末に作業を重ねて、今月5日に完成した。 協議会はこれまでにイノシシ、フクロウなどの縁起物や悪疫退散を願うアマビエなどを制作。布袋さんにはこうした従来作品より約2割多い稲わらを使い、制作リーダーの水本秀之さん(64)が「丁寧に造りすぎた」というほどの出来栄えになった。5月中旬まで展示する予定という。(菊地洋行)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

手元に残った寂聴さん未発表原稿 「いい戦争などはない」原点つづる

 瀬戸内寂聴さんが生前に発表しなかった、ひとつの原稿がある。2016年夏、朝日新聞の連載に寄せられた直筆エッセーだ。タイトルは『いい戦争などはない』。「非戦を通すことが、日本人の正しい生き方である」と結んでいる。昨年11月に99歳で亡くなるまで記者の手元に残されていた。最期まで書き続けた寂聴さんだが、秘書によると、未発表原稿はほかに見つかっていないという。(岡田匠) 寂聴さんは15年6月から亡くなる1カ月前の昨年10月まで全76回、朝日新聞朝刊文化・文芸面に「寂聴 残された日々」を連載した。秘書によると、寂聴さんは10月にいったん退院し、第76回の原稿を書いた後、再び入院して息を引き取った。最終回となった第76回が人生最後の原稿になったという。 未発表原稿は原稿用紙3枚。16年8月の連載第15回に向け、記者が「戦争について書いてほしい」と依頼した。「よろこんで書くわよ」と応じてくれ、ファクスで原稿が寄せられた。 だが数日後、寂聴さんから「ふるさと徳島の阿波踊りを書きたくなった」と連絡があった。『平和だからこそ阿波踊り』と題した原稿が届き、掲載した。徳島で開いていた文学塾「寂聴塾」の塾生たちと阿波踊りに参加した思い出を振り返り、「今年はぜひ踊りにきませんか」と塾生から誘われたことを記している。 当時94歳。80代後半になっても阿波踊りに参加した寂聴さんだが、92歳のときには背骨の圧迫骨折や胆囊(たんのう)がんの手術を受けた。遠出するときには車いすが多くなった。それでも、阿波踊りの8月が近づくと、「今年こそ行きたい。最後になるかもしれないから。でも、この足がねえ」と話していた。連載第15回の前に塾生から誘われ、戦争中は中止になった阿波踊りに、行きたいけれども行けない胸の内を書きたくなったのだろう。 未発表となった原稿には、戦時中の体験や中国からの引き揚げ、そして平和への思いがつづられている。生原稿は、瀬戸内寂聴記念室のある徳島県立文学書道館(徳島市)、ファクスで届いた原稿は朝日新聞が保管している。寂庵(じゃくあん)の了承を得て掲載した。 徳島県立文学書道館の学芸員の竹内紀子さんは「戦時中の多くの思い出をコンパクトにまとめた原稿は非常に珍しい。日本人の生き方を説いた最後の一文は、まさに寂聴さんの遺言といえる」と話している。未発表原稿の全文 連日のように知友の死が報じ…この記事は有料会員記事です。残り1221文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

たき火が呼び起こすあの日の思い出 25年前に交わした約束

 星空の広がる東京都檜原村のキャンプ場。昨年末、坪田俊介さん(53)は妻美恵子さん(53)と赤々と燃えるたき火を見つめていた。周囲から聞こえるのは川のせせらぎと、薪に残ったわずかな水分がシューと蒸発する音だけだ。 「そろそろいいんじゃない」。美恵子さんが持つ鍋から、甘い香りが漂う。白い息を吐き、ホットワインを飲む。どうしてかな、昔話がしたくなった。 「肝試しの帰りじゃなかったか?」「今日みたいに寒い日で、確か元日だったよ」 40年近く前、岡山県倉敷市。2人は中学の同級生だった。 仲良しグループで計画を立てた。大みそかに神社で季節外れの肝試しをして、そのまま初詣に行こう。 「ドキドキしたのを覚えてる」「俺は別の理由でドキドキしてたよ」 俊介さんは、この日にかけていた。初詣から帰宅した美恵子さんの目に入るよう、余裕を持って年賀状を書いた。はがきには交際を申し込む言葉と、「迷惑だったら忘れてください」と一文を添えた。 後日、美恵子さんから返事が…この記事は会員記事です。残り1086文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「温暖化でうまくなった」と言われた北海道の米 迫る作物の境界

 「温暖化したおかげで北海道の米はうまくなった」 衆院選のさなかの昨年10月、北海道小樽市。自民党副総裁の麻生太郎氏が街頭で応援演説をしていた。麻生氏は北海道産米が「やっかいどう米」と呼ばれていたことに触れると、こう続けた。 「お米の花が実に変わる、あのころの温度が2度上がった。それだけで売れるようになった」 麻生氏の発言が伝わると、野党や道内の農業団体から「温暖化を肯定するような発言は耳を疑う」「品種改良や農家の努力を無視している」と批判の声があがった。 昨年公表された国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次報告書では、地球温暖化はさらに進み、豪雨、干ばつ、熱帯低気圧に影響していることが報告された。北海道でも21年7月の平均気温は平年より2・8度高く、記録のある1946年以降最も暑い夏となった。 食料自給率200%を誇り、全国の農地の2割以上が集まる日本の食料基地は気候変動によって作物に異変が起きている。 北海道南西部、日本海側の蘭越(らんこし)町。品質の高いコメは「蘭越米」として道産米の中でも人気が高い。 コメ農家「坂野農場」の坂野幸夫さん(55)は農家の3代目。20ヘクタールほどの田で年間100トン近いコメを生産している。麻生氏の発言について、「確かに近年は温暖化によって冷害は減ったが、複雑な気持ち。米の味はどれだけ手をかけたかで決まると思ってきたから」と不満げだ。 父から経営を引き継いだばかりの93年、冷害に見舞われほとんど収穫できなかった。それまで道外の米を食べたことはなかったが、初めて本州の親戚から米を送ってもらった。「うまかった」 その後も数年に一度、冷害に…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル