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がんと闘う元主将が二塁打 マスターズ甲子園愛知県大会

 元高校球児が甲子園で戦う「マスターズ甲子園」の第4回愛知県大会が26日、始まった。12月に阪神甲子園球場である舞台をめざし、14校のOBチームが参加。がんと闘う選手も活躍し、現役の高校球児らにエールを送った。 26日は刈谷球場で1試合があり、刈谷OBが14―3で半田OBに勝った。 半田OBの黒柳寛喜選手(25)は4番捕手で出場。2打席目に左翼線へ二塁打を放ち、「当たりも良く、気持ちよかった。久々に野球をしているって感じました」と話した。 2019年3月にステージ4…この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。残り:385文字/全文:623文字Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

難民申請中のミャンマー代表選手、小学生とサッカー交流

 サッカーのミャンマー代表選手として来日後、母国のクーデターに抗議の意思を示して難民申請をしているピエリアンアウンさん(27)が27日、大阪府内で少年サッカーチームの子どもらと交流した。 支援者の在日ミャンマー人で、大阪市で飲食店を営むアウンミャッウィンさん(47)が、チームのコーチと親しかった縁で実現した。ピエリアンアウンさんは自身のミャンマー代表のユニホームを着て参加し、子どもらとパス練習やミニゲームをした。本職のゴールキーパーを務め、子どもたちのシュートを横っ跳びではじいて歓声を浴びる場面もあった。小学5年の内田幸紀(こうき)さん(11)は「強くて、でかくてボールを取られない。日本でもサッカーをしてほしい」と話した。 ピエリアンアウンさんは練習後、着ていたユニホームにサインをしてプレゼント。報道陣には「日本に来て一番楽しい時間だった」と笑顔を見せた。一方で「ミャンマー代表としてもう1回プレーしたい。でも、クーデターで全クラブがプレーできなくなった。ミャンマーのサッカーが立ち上がるのには時間がかかる」と複雑な思いも打ち明けた。 ピエリアンアウンさんは5月28日、ワールドカップ(W杯)アジア2次予選の日本戦で、国歌斉唱の際、クーデターを起こした国軍への抵抗を示す「3本指」を掲げた。「帰国すると迫害を受ける」と訴え、関西空港で帰国便への搭乗を拒み、日本政府に保護を要請。今月22日、大阪出入国在留管理局で難民認定を申請した。(宮崎亮)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

福岡・朝倉で「防災塾」 九州北部豪雨の被災地から発信

渡辺純子2021年6月27日 20時30分 42人の死者・行方不明者が出た九州北部豪雨から間もなく4年となるのを前に、被災地の福岡県朝倉市で27日、住民たちが「防災塾」を開いた。被災の痛みを知るからこそ次の災害に備えようと、土囊(どのう)作りや防災ゲームを体験した。 参加したのは同市杷木久喜宮(はきくぐみや)の約30人。小学校跡地に今春できた地域防災拠点施設を生かし、防災意識を高めようと、住民と支援団体が協議体「災防(サイボウ)グ」をつくって企画した。 まず「クロスロード」というカードゲームで避難について学んだ。「避難所に3千人いるが食料は2千人分しかない」「80歳の母がいるが深夜に避難指示が出た」。そんな時どうするか、それぞれが考え、意見を話しあった。 土囊作り体験では、袋を裏返す、土を入れすぎない、結び目を下に向けて積む、などのコツを学習。学生ボランティアも参加し、2人1組で作って積みあげた。コロナ対策として1人で作る方法も学んだ。 4年前、自宅に泥が入り1カ月避難したという内山育子さん(72)は「7月が近づくと戦々恐々だけど、心構えができた。土囊作りは1回やっておくと、いざという時に役に立つ」と話した。 塾はオンラインでも配信した。あと4回開く。災防グ代表の望月文(ぶん)さん(42)は「災害から4年経ち、後処理が一段落して、やっとここまで来た。災害前にこういうことをやっておくことが大事だと、被災地から発信したい」と話した。(渡辺純子)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

流され行方不明の男児、遺体で発見 大阪・高槻の淀川

2021年6月27日 15時30分 大阪府高槻市の淀川で26日、小学生2人が流された事故で、行方がわからなくなっていた3年生の男児(8)が27日朝、現場近くで見つかり、死亡が確認された。 高槻署や市消防本部によると、26日午後、同市唐崎付近の河原で遊んでいた小学生3人のうち2人が流され、うち1人は釣り人に救助されたが、もう1人が行方不明になっていた。27日午前7時15分ごろ、消防隊員が近くの水中に沈んでいる男児を見つけたという。署が経緯を調べている。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

通信制高校から海外名門に飛び級合格 変わり者扱いでも

 広域通信制のつくば開成高校から、世界ランキング上位の米国カリフォルニア工科大学大学院に飛び級合格し、今秋から入学する金子生弥さん(18)。中学2年のある朝起きたら、急に数学を学びたくなり、英語も独学で身につけ、数学研究の世界へ飛び込んだ。 中学2年の夏、朝起きたら突然、数学を学びたくなり、茨城県つくば市の自宅近くの本屋に出かけた。小説「数学ガール」シリーズを全巻読んだが簡単すぎて、古典的な数論の入門書を読破した。 人とかかわるのはあまり得意ではない。数学の授業ですぐに答えを言うと、教師からも変わり者扱いされた。英語は聞くのも嫌で、英検の受験経験もない。ただ、英文の数学専門書を読むうちに自信がついた。聞く・話すは、ユーチューブ上の数学者の講演で学んだ。「4歳からバイオリンを習っていたので、耳はいいんです」 日本人数学者が書いた本に複…この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。残り:293文字/全文:667文字Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

隠し味はあの食材 肉を使わないきじま流豆腐のカレー

【動画】きじまりゅうたさんが豆腐をおいしく食べるレシピを紹介。今回はひき肉のかわりに豆腐をそぼろ状にしてつくる「豆腐のキーマカレー」をきじまさんが考案しました。 豆腐をテーマに3品を紹介している「きじまりゅうたのおうちごはん!!」。シリーズ最終回は「豆腐のキーマカレー」です。肉や魚を具として使わなくても、うまみを十分に感じることができます。ある食材を隠し味に入れるのがポイントです。 考案したきじまさんは「ちょっと今回、ストイックに豆腐と向き合ってみたいなと思いました」と語ります。その言葉通り、豆腐がキーマカレーのひき肉の役割を果たしています。 木綿豆腐をフォークを使って潰し、電子レンジにかけて温めて、さらにペーパータオルに包んでしぼることで、面倒な水切りも楽にできます。水分が抜けた豆腐が、まるでそぼろのような食感になります。 カレー粉とケチャップ、ウスターソースで味付けしますが、その後、隠し味としてバターとかつお節を加えます。バターが淡泊な豆腐にコクを与え、かつお節がうまみを補います。きじまさんも「和食に限らず、なんか物足りないってなった時に、かつお節を使うのはいいですよ」と話します。 記者も実際、自宅で夕飯のためにつくってみました。作業工程自体が簡単で、豆腐の水切りも楽にできました。味ももちろん大満足。口に含んだ瞬間、複雑な味が広がり、かすかに感じるかつお節の風味が良いアクセントとなっていました。 最後にピーマンを加えるのですが、食感を残すためにも、あまり煮込みすぎないようにするのがオススメです。記者は少し火を通しすぎてしまい、ピーマンがくたっとしてしまいました。 詳しい作り方は動画をご覧下さい。そのほかのポイントもきじまさんが丁寧に解説しています。(岩沢志気)材料(2人分)木綿豆腐:1丁(400g)ニンニク:2片タマネギ:1/2個ごはん:2膳分ピーマン:1個サラダ油:大さじ1/2カレー粉:小さじ2【A】ケチャップ:大さじ2ウスターソース:大さじ2【B】かつお節:3~5gバター:10g作り方※詳しくは動画で①耐熱皿に厚手のペーパータオルを2枚重ねて敷き、豆腐をのせ、フォークなどで潰す。ペーパーを2枚載せレンジに2分かける②ニンニクを潰して芯を除いてあらみじん切りに、タマネギを5mm角程度のみじん切りにする。ピーマンは5mm幅の薄切りにする③フライパンにニンニクとサラダ油をいれて中火にかける。香りが立ってきたらタマネギをいれてしんなりするまで炒める④豆腐の粗熱が取れたら上から水気を押し絞り、しぼり汁は取っておく⑤豆腐をフライパンに入れ木べらでほぐしながら、パラパラになるまで2~3分炒める⑥カレー粉を加えてなじませる⑦Aの調味料と豆腐のしぼり汁を加えて炒める⑧Bを加える⑨ピーマンを加えてさっと煮る。なじんだら、ご飯にのせる きじま・りゅうた 祖母で料理研究家の村上昭子、母で料理研究家の杵島直美から多彩な家庭料理を学ぶ。子育て世代に響くアイデアメニューが雑誌や料理サイトで人気。「きょうの料理」「キユーピー3分クッキング」にも出演中。1981年生まれ。「NHK きじまりゅうたの小腹すいてませんか? パパッとレシピ」(宝島社)「きょうも明日も炒めもの」(学研プラス)など著書多数。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「不眠のハエ」 研究から見えてきたのは

 「不眠のショウジョウバエ」の研究を続けてきた名古屋市立大薬学部教授の粂和彦さん。ハエの遺伝子の研究が、私たちの睡眠や体内時計の解明につながっているという。研究のかたわら、睡眠に悩む患者とも向き合ってきた。 研究室を訪ね、実験室の扉を開けると目の細かいカーテンが目の前に現れた。「遺伝子を変えた、自然界には存在しないハエを扱っていますから、外に出さないためです」と粂さん。とはいえ、飛んでいるハエはいない。常時1万匹以上を保管しているが、すべて試験管の中で生きたまま管理している。 ハエの脳波は調べられないので、一定の時間、動かない状態を「睡眠中」とみなす。1匹ずつ細長いガラス管に入れ、動いたら赤外線で感知する装置を使って行動を記録し、1分単位のデータを収集、解析する。 粂さんは約20年前、ハエの行動観察の過程で偶然、休まずずっと動き回っている個体を見つけた。「fumin(不眠)」と名付けたそのハエは、交配させると、子、孫も同じ異常行動をとることが分かった。 調べたところ、脳の神経伝達物質ドーパミンのブレーキ役の遺伝子が欠けていることが判明。このたった一つの変異のため、覚醒作用が強く眠らなくなっていることが分かった。覚醒を制御するハエのドーパミン回路は記憶の回路とは独立していることも明らかになった。一方、交尾行動やオス同士の戦いに関わるドーパミンの回路は覚醒と関わり合っていた。 ドーパミンは人間の脳でもいくつもの重要な働きをすることが知られている。覚醒のほかにも、学習や記憶、「快い」「うれしい」という感情、意欲、運動の調節……。 「見た目はもちろん、脳の仕組みがこんなに違うハエが、人間と同じ物質で覚醒の制御をしている。しかも、人の『心』と関わる物質ですから、これは面白いと思いました」 こうした研究は、人間を含む哺乳類の睡眠の研究ともつながる。 近年、盛んなのは「眠気」の…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「他人と比べる人生はみじめ」 くさか里樹さんの人生訓

【動画】「ヘルプマン」作者くさか里樹さんインタビュー=羽賀和紀撮影 介護問題や高齢化社会をテーマにした漫画「ヘルプマン」シリーズ(週刊朝日で連載中)が人気だ。作者のくさか里樹(りき)さん(63)は第40回日本漫画家協会賞大賞も受賞した。高齢ドライバー問題や認知症介護など、取り扱う題材の幅広さには専門家からの評価も高い。高知県香美市の作業場で制作の裏側などを聞いた。 ――連載開始から18年ですが、今も評判です 介護の現場には人間ドラマが詰まっているから読まれるんでしょうね。主人公の葛藤を自分事と感じてくれる読者も多いからか毎回反響も大きいです。 漫画は知識や情報を発信するものではなく、人間ドラマを描くものだと思っています。介護の現場は人間関係が濃く、主人公の葛藤も絶えないので、ネタが尽きないです。 ――「ヘルプマン」を描くときに意識していることは何ですか まずは仕組みを理解すること。社会福祉の分野は行政の制度が常に変わるので、知識をアップデートしないといけない。毎回、大量の資料を印字して読み込んだり、全国の専門家からアドバイスをもらったりしながら描いています。 ――ペンネーム「くさか里樹」の由来は 出身地の高知県日高村の旧村…この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。残り:906文字/全文:1399文字Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

転勤族の父、「創」の名に思い込め ライター松本創さん

著名人が父のことを語る連載「おやじのせなか」。今回はデジタル版限定のロングバージョンです。 父親は典型的な会社人間で転勤族でした。早朝に出勤し、子どもが寝てから帰る。いつもムスッと険しい顔で近寄りがたかったけれど、大阪の吹田市で過ごした小学校低学年の頃は、たまの休みにキャッチボールしたり、ストで運休になった電車の線路を一緒に何駅分も歩いたりした記憶があります。 豊中市に住んでいた小5の時、仙台へ引っ越すことに。空港で会社の人たちに「松本君バンザーイ」と見送られ、胴上げされていた。昭和の企業戦士って感じですよね。父親は当時40歳。大阪で生まれ育った人間なので、東北に行くというのはそれだけ遠く、ある種の覚悟があったかもしれません。そこから全国を転々とする転勤生活が始まったんです。 僕にすれば、どこへ行っても2年ほどで、ようやくなじんだ頃に転校させられる。ずいぶん泣いて抵抗しましたね。豊中の小学校は1年数カ月だけ、仙台では中学がすごく楽しく充実していたのに1年生の2学期途中で青森へ。そのまま青森の高校に行きたいと思っていたら、「また転勤があるかもしれないから」と函館の私立に進み、寮生活をすることになった。当時の会社って、家族や子どもの都合なんか一切お構いなしだったんでしょうね。 僕は高校で成績が急降下して、寮生活も窮屈でなじめず、バンドに熱中したり、忌野清志郎さんの影響でヘッセの小説を読みふけったり、現実逃避気味でしたね。一度、飲酒が見つかって停学になったことがあるんです。母親が青函連絡船で迎えに来て、青森の自宅で1週間の謹慎。これは父親にどつかれるなと覚悟して玄関を入ったら、えらい素っ頓狂な声で「おかえりー」と迎えられて、拍子抜けしたのを覚えています。 父親とは中学の時に殴り合いのけんかもしたし、高校に入ってからもピリピリした関係で、距離を測りかねていたんじゃないですかね。「停学ごときで動揺せず、威厳を示さないと」「でも、頭ごなしに怒ったらあかん」と悩んだ末に出てきた言葉が、素っ頓狂な「おかえりー」だったんじゃないかと。隣にいた母親は噴き出しそうになったそうです。 就職活動でいったん内定を得た飲料メーカーを断り、新聞社を受けると言うと、すごく反対されました。父親は生活のため、大学で紹介された大手電機メーカーに即決した。ばくちや株をやり、家にお金を入れない自分の父親が「反面教師」だったらしく、安定した会社の内定を断る僕を理解できなかった。「仕事は好き嫌いで選ぶもんじゃない」と何度も諭されました。だから、神戸新聞を辞めた時は事後報告です。退社後に初めて寄稿した雑誌を見せると驚いていましたが、もう辞めてしまった後だから、どうしようもない。松本さんが「誰が『橋下徹』をつくったか」で日本ジャーナリスト会議賞に決まったと知った日は、お父さんの誕生日でした。報告すると、お父さんからメールが届きます。 僕は転校を繰り返したせいか…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

尖閣沖、中国公船4隻が領海侵入

2021年6月27日 8時00分 26日午前2時半ごろから、沖縄・尖閣諸島の魚釣(うおつり)島と南小島の沖合で、中国海警局所属の公船「海警」4隻が相次いで領海に侵入した。海上保安庁によると、日本漁船4隻に近づこうとする動きを見せたが、いずれも午前11時40分ごろまでに領海から出たという。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル