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早世から1年 札幌のゴスペルシンガーしのぶブルーレイ

 2020年3月に49歳で死去した札幌市のゴスペルシンガー・Natsuki(ナツキ)さんの最後のソロリサイタルを収録したブルーレイディスク(BD)が、没後1年の3月13日に発売される。道内で長年ゴスペルを指導し、多くの歌い手を育てたNatsukiさんだったが、新型コロナウイルスの影響で昨年の葬儀は身内のみで行われた。昨秋予定されたしのぶ会も延期されており、遺族はBDの歌声を通じて故人の思い出を共有したいという。  Natsukiさんは幼い頃から音楽に親しみ、音大卒業後ゴスペルシンガーとしてデビュー。豊かな歌声で聴衆を魅了した。歌唱指導やラジオ番組パーソナリティーなどでも活躍し、15年10月にはカトリック教会の総本山、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂でのミサに日本から聖歌隊を率いて出演し、ローマ教皇と謁見(えっけん)した。昨年3月13日にがんのため亡くなる直前まで演奏活動を続けた。  檜山地方の今金町は19年10月、町内で演奏会をたびたび開いていたNatsukiさんを招いて総合体育館の落成記念イベントを開催。指導を受けた町民らも交えたリズミカルなゴスペルソングは、会場を大いに盛り上げた。その5カ月後に悲報が伝わり、中山秀悦教育長は「とても楽しいひとときだった。病を抱えておられるとは知らず驚いた」という。  オルガン伴奏などで音楽活動を支えた妹の大澤あすかさん(47)は「姉にとって歌うことは生きることだった。慕う生徒さん、ファンは本当に多く、幸せな人生だったと思う」と話す。父・山田晋筰さん(80)は「多くの方の記憶に残れたのであれば、決して短い人生だったとは思わない」と語る。  BDには19年6月のリサイタルで歌われた「ユー・レイズ・ミー・アップ」「アメイジング・グレイス」などの有名ゴスペルソングや、「虹と雪のバラード」「蘇州夜曲」などのヒット曲を収録。購入希望はウェブサイト(https://ssl48.dsbsv.net/natsuki-vocal.jp/)で受け付ける。家族らはBD発売のほか、ゴスペルの名曲「トータル・プレイズ」を教え子らがそれぞれ歌った動画をひとつに合成してネットで配信、手向けとする考えだ。(戸田拓) Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

民泊事業者、住宅で遺体を一時預かり 近隣住民から苦情

 大阪市住吉区の一戸建てで民泊を行っている事業者が、この住宅で遺体を一時的に預かり、近隣住民からの苦情が市に寄せられていることが12日、分かった。区の聞き取りに対し、事業者は「コロナで民泊が厳しくなり、遺体を月2、3体預かるようになった」と説明しているという。  区によると、この住宅に遺体が運び込まれるようになったのは昨年12月ごろ。近隣住民から今年1月に苦情が寄せられたことで事態を把握したという。区が今月9日に電話で聞き取りをしたところ、事業者は「住宅が売れるまで遺体の預かりは続けたい」と話したという。  区の担当者は朝日新聞の取材に対し、「遺体保管の経緯について事業者から直接確認できていない」とした上で、「葬儀業者に遺体の十分な安置場所がなかったり、安価な安置場所を必要としたりする場合があるため、民泊事業者が有料で遺体を預かっていたのではないか」と話す。  市環境局によると、遺体の一時預かりを規制する法律や条例などはないが、近隣住民とのトラブルなどを防止するため、今後、指導要綱の策定を検討するという。(本多由佳) Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「クーデター」を否定 ゴーン氏事件で日産元副社長証言

 日産自動車の元会長カルロス・ゴーン被告(67)が巨額の役員報酬を開示しなかったとされる事件で、金融商品取引法違反罪の共犯に問われた元代表取締役グレッグ・ケリー被告(64)の公判が11日、東京地裁であった。社内調査を主導した川口均・元副社長が証人出廷し、「仏ルノーと日産の統合を阻止するために(元会長の)不正を捏造(ねつぞう)するようなことはこれっぽっちもないと確信している」と証言した。  日産では、川口氏と今津英敏・元監査役、検察と司法取引したハリ・ナダ専務執行役員がゴーン元会長の不正調査を担った。元会長はルノーとの経営統合を阻むための「クーデター」だと批判している。  公判で弁護側は、統合阻止を目的に、不正の疑惑を検察に持ち込んだのではないかと追及した。川口氏はルノーとの関係をめぐって「ゴーンさんの存在がネガティブになっていたのは事実」としつつ、「不正はあくまで不正」と強調。検察に情報提供した理由は「当時はゴーンさんに全ての権限が集中していて、日産内部で彼を糾弾するのが難しかった」と説明した。  社内調査に加わった経緯につい… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会 - 朝日新聞デジタル

津波にのまれた親子、傷のない赤ちゃん 検視官は涙した

 東日本大震災で1万5千人を超える死者の死因や身元を調べ、遺族に引き渡す役割を担ったのが、全国から派遣された警察官たちだった。静岡県警捜査1課の山下安則・統括検視官(57)もその一人。2011年の3月に福島県相馬市、同年5月に南相馬市へ約1週間ずつ派遣され、津波にのまれた遺体に向き合った。      ◇  3月の派遣では遺体安置所となった工場で検視にあたった。遺体の写真を撮り、津波で泥まみれになった体を洗い流す。全身の傷を細かく確認し、持ち物や体の特徴、指紋やDNA型、歯形なども記録。医師から災害死と確認してもらい、遺体を棺に納めた。  工場内には遺体と対面した遺族が号泣する声が響きわたる。その中で黙々と作業を続けた。少しの無駄話も、笑顔を見せることも許されない。緊張が続いた。担当する遺体の前では必ず手を合わせ、黙禱(もくとう)をささげた。  ある日、生後数カ月の赤ちゃんの遺体が運ばれてきた。遺体にはほとんど傷がなかった。「皮膚が弱い赤ちゃんがなぜ……」。不思議に思った。数時間後に運ばれてきた若い女性は、赤ちゃんを抱きかかえる姿勢で硬直していた。2人は親子だった。「津波にのまれても最後の最後まで子どもを守ろうとしたのか」。母親の気持ちを思うと涙が止まらなかった。  派遣期間中、南相馬市で津波被害に遭った海岸部にも足を運んだ。平地にぽつん、ぽつんと柱だけが立っていた。「元の姿が想像できなかった」。被災前の様子を航空写真で見てあぜんとした。一帯の建物がまるごと消えていた。「これがこれから静岡でも起きることなのか」  被災地で抱いた危機感は今も残る。警察官や自治体職員、医療関係者の前で講演する機会が多く、南海トラフ地震に備え、事前準備の重要性を訴えてきた。検視に必要な資機材の準備や遺体安置所の確保、人員確保は欠かせない。「災害には想定外がつきまとう。関係機関、県民も一丸になって立ち向かわなければならない」と話す。  これまでの経験から、被災地では遺体の取り扱いや治安確保など警察の役割の重要さも実感してきた。その上で、若い警察官にはこう伝える。「警察が本当に必要とされる場面で自分の命がなければ何もできない。だからこそ、いざというときに逃げる勇気を持ってほしい」(植松敬)      ◇  阪神淡路大震災や東日本大震災では、検視に必要なビニールシートや消毒液といった資機材の不足、想定していた遺体安置所の被災による別の施設の確保など、遺体を扱う上での課題が浮き彫りになった。過去の教訓から全国的に防災計画の見直しが進み、静岡県は2016年4月に「遺体措置計画策定の手引」を改訂した。  手引では、県内の市町に対し、遺体搬送や検視に必要な資機材の調達と保管を求め、事前に地元警察署と協議して遺体安置所となる施設を選ぶことを要望。耐震性があり、想定浸水域外に位置する施設を選ぶことや、万が一被災した場合の代替施設の選定も必要としている。  ただ、遺体安置所の選定は市町によって進み具合が異なる。県危機政策課のまとめ(昨年4月1日時点)によると、県内では3市町で遺体安置所が決まっていない。大規模施設は避難所との重複を避ける必要があり、想定していた施設の耐震性が不十分というケースがあるなど、今後の課題になっている。  一方、県の手引きには警察や医師、消防や葬祭業者と連携した防災訓練の実施についての記載もある。県が毎年実施する総合防災訓練では、遺体の検視や身元の特定、遺族への引きわたしを想定した訓練を行い、最悪の事態に備えた準備を進めている。 Source :…

乗馬クラブ指導者が教え子蹴る 鹿児島の連盟理事を解任

 鹿児島県霧島市の乗馬クラブで指導していた50代男性が昨年12月、教え子の男子高校生に暴行していたことが分かった。男性は県馬術連盟の理事と強化委員長を務めていたが、連盟は倫理規定に違反するとして1月に解任した。  連盟などによると、男性は昨年12月10日、同市の乗馬クラブで乗馬の準備が指示通り終わっていなかったとして、生徒の顔を手でたたき腹部を蹴ったという。  生徒は全治1週間のけがと診断された。暴行以降、生徒はこのクラブの練習に参加しなくなった。  男性は国体での優勝経験があり、監督としても10回以上参加したという。朝日新聞の取材に「うそをついたと思い、かっとなった」と話した。(小瀬康太郎) Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

家族5人、車のラジオで聞いたあの声 10年後に会えた

 大震災の夜、移住先の福島県田村市は停電で明かりを失った。家族5人は車の中で毛布にくるまり、朝を待った。不安で眠れずにラジオをつけた。  「街は壊滅です」。津波被害を受けた福島県沿岸部の様子を、泣きながら伝え続ける男性の声を聞いた。「私も踏ん張らねば」。  11日、あの声と10年ぶりに栃木県益子町で「再会」した。内田啓子さん(47)は震災の約4カ月前、さいたま市から福島県田村市に夫と3人の子どもと移り住んだ。移住前、夫は残業続きで週末も休めない日が多かった。1人で子育てする「ワンオペ」状態。家族で過ごす時間がほしくて移住を決めた。  夕方に帰宅する夫が3人の息子(3歳の双子、1歳)と一緒に風呂に入るのが日課になった。夜には満天の星に包まれた。しかし、新生活を震災が断ち切った。田村市は震度6弱。裏山のがけ崩れを心配して、夜は近くの商業施設の駐車場で車中泊した。  深夜。津波がのみ込んだ街の様子をラジオで伝えたのは同県南相馬市の印刷会社長川又啓蔵さん(48)。震災当日から地元のAM局「ラジオ福島」でリポートを続けた。海から約4キロ離れた印刷会社の屋上から、「1キロ先まで津波が押し寄せています」「漁船が流されています」と惨状を伝えた。川又さんはテレビ局の勤務経験があった。  内田さんはラジオの情報だけが頼りだった。放送局にはリスナーから次々と情報が寄せられた。「うちには井戸があります」「店の電気は消えているけど、ものは売っています」。内田さんは「あの時はみんなが一生懸命だった。ラジオの声に励まされ、心を奮い立たせた」。  一夜明けた朝、一家は約20キロ先にある東京電力福島第一原発の事故を恐れて内田さんの実家がある真岡市に向かった。原発が立つ沿岸部から川又さんがリポートした「街は壊滅」との言葉が頭から離れなかった。出発直後、1号機の原子炉建屋は水素爆発した。  内田さんは11日、栃木放送の番組に益子町の自宅から出演し、川又さんのインタビューを受けた。10年前の3月12日早朝の川又さんのリポートを一緒に聴いた。「電気もない中、ラジオだけを頼りに朝を迎えた方、我々が近くにいますんで頑張ってください」。涙声だった。内田さんは「人がつくったものがことごとく壊れる中、お互いを勇気づける言葉が温かく、とてもありがたい存在でした」と目を潤ませた。  原発事故を機に、なぜ自分の幸… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会 - 朝日新聞デジタル

震災4カ月後の優勝 澤穂希さん「見えない力が背中を」

 2011年7月、サッカーの日本女子代表はドイツで開かれたワールドカップ(W杯)で世界一に輝いた。その年末、世相を映す「流行語大賞」で愛称の「なでしこジャパン」は大賞に選ばれた。「日本中に希望と勇気を与えた」が授賞理由だった。主将だった澤穂希さん(42)に、あの夏を振り返ってもらった。  東日本大震災が起きた11年3月11日は、なでしこジャパンがポルトガル遠征から帰国した日だった。  「私は東京都府中市の実家に母と居ました。寝不足もあって、テレビを見ながらうとうとしていたら、すごい揺れが来ました。食器棚が倒れないように母が必死におさえていたのを、覚えています」  東日本大震災から3カ月後に開… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会 - 朝日新聞デジタル

「トトロの森」買い取って55カ所 里山守った30年

 狭山丘陵の里山保全に取り組む公益財団法人「トトロのふるさと基金」(事務局・埼玉県所沢市)が昨年、設立30周年を迎えた。その取り組みは、市民らの寄付金で雑木林などの土地を買い取って保全管理し、環境調査を積み重ねる「ナショナル・トラスト活動」と呼ばれる。事務局長の北浦恵美さん(55)に、活動の現状と展望を聞いた。  ――これまでに取得した「トトロの森」は55カ所にもなります  個人や企業による寄付金の総額は9億5千万円を超えました。「本当に多くの人たちに支えられているのだな」と実感します。買い取った雑木林などの土地は、所沢市を中心に入間市や東京都の東村山、東大和両市などで計約10・4ヘクタール。ここ10年ほどは基金の活動への理解が深まり、「土地を買い取ってほしい」という地権者の方々や土地の無償寄付も増えています。  ――一方で、乱開発につながる動きはなくなりません  東京と埼玉にまたがる狭山丘陵は約3千ヘクタールと広大で、都心から近いために開発の手が伸びやすい。近年は東京五輪に向けての土地買収や開発も増えました。森や小川、湿地など里山の景観が失われ、そこに息づいていた生きものたちが姿を消すといった例も後を絶ちません。だからこそ息の長い取り組みを通じて、自然環境を守っていく必要があるのです。  ――ナショナル・トラストを進める意義は何ですか  ある開発計画を反対運動でストップさせることができたとしても、次にまたどんな計画が出てくるか分かりません。私たちが土地の所有権を持てば、乱開発から守ることができます。地権者にとって土地は「財産」ですが、思い入れを持って大切に手入れしてきた方も多い。ナショナル・トラストは、地権者の方々と協力しながら「恒久的」に環境を保全していくための重要な手段なのです。  ――取得地の保全管理は誰が担っているのですか  ボランティアの方々を中心に、伐採や下草刈り、落ち葉掃きなどの作業を定期的に実施しています。職員も作業にあたり、現在16ある「協力団体」や地元の方々の協力も欠かせません。今年度の会員約1200人のうち、登録制のボランティアとして活動するのは約150人。森の管理方針を決めるため、職員と一緒に動植物の確認調査をしてもらうこともあります。  ――「これからの30年」に向けた展望と課題を教えてください  取得した「トトロの森」は、狭山丘陵全体から見ればごくわずかな面積にすぎません。今後も取得する森をさらに増やし、森と人とが共存するための管理を続けていくことが重要になります。ただ、こうした活動は資金面の負担が大きいのも事実。「恒久的」に森を保全していく仕組みづくりと、ボランティアなどの「担い手」をどう育てていくかは今後、ますます大きな課題となりそうです。  カエルやオタマジャクシにカブ… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会…

身元不明なお6体「遺族の元に…」終わらない執念の捜査

 宮城県警本部(仙台市)の地下1階にある窓のない小部屋。4人の捜査員が机を向かい合わせて座ると、もう手狭だ。棚には、東日本大震災で見つかった身元不明遺体の検視データや無数の写真が納まる。 特集企画「会いたい、会わせたい」東日本大震災から10年。行方不明者はなお2500人を超え、今も家族を捜す人たちがいる。遺体の身元捜査を続ける警察、身元が分かっているのに引き取り手がない遺骨……。「会いたい」「会わせたい」。人々の思いが交錯する。 特集企画「生きる、未来へ」3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。  その傍らに、宮城県沿岸部の大きな地図が掲げられている。シールが指し示すのは、不明遺体が見つかった場所だ。特定できれば1枚ずつはがしてきた。  陸地で見つかったことを示すオレンジ2枚、海での緑4枚――。震災から10年を迎えても、6体の身元が分かっていない。これらを遺族の元に戻すべく、捜査1課の「身元不明・行方不明者捜査班」が地道な作業を続けている。 拡大する地図に貼ってある遺体発見場所のシール。陸地だとオレンジ、海中だと緑にしているという=仙台市青葉区の宮城県警本部  捜査班が22人態勢で発足したのは、震災から8カ月後の2011年11月。これまでに約560体の身元を特定してきた。  班長を務める菅原信一検視官(63)は、東日本大震災は遺体の身元が特定しづらい「開放型」の災害だという。 拡大する遺体の身元特定作業について語る捜査班長の菅原信一検視官=仙台市青葉区の宮城県警本部  乗客名簿がある航空機事故や、建物倒壊などによる犠牲者が相次いだ阪神・淡路大震災の「閉鎖型」と違い、津波で広い範囲に流されてしまうと手がかりそのものが失われてしまう。遺骨が白骨化したり、一部しか見つかっていなかったりと損傷も激しい。  特定の鍵となるのが、遺体から採取するDNA型による鑑定だ。県警は行方不明者届を受理する際、不明者の親族たちにDNA型採取の協力を依頼。他県の行方不明者の情報も取り寄せ、データベースを作成して型の近い人を絞り込んできた。  コンピューターがはじき出す候補は1人あたり5~20人ほど。赤の他人でも型が似ていることは珍しくない。しかも、遺体に皮膚や毛髪が残っておらず、地中や海中に長期間あった骨だと、DNA型そのものが変性してしまうこともある。  そもそも身寄りがなくて届けが出ていない場合もあり、結局は地道な捜査が必要になる。  「遺骨に名前をかえすこと」。菅原班長は身元特定の作業をこう表現する。名前を取り戻すことで、骨に刻まれたその人の人生が浮かび上がる。「家族にかえしてあげたいという思いでチーム一丸となってやっている」 拡大する捜査班の部屋には、遺体の発見日時や持ち物、死因などをまとめたファイルが並ぶ=仙台市青葉区の宮城県警本部…

「骨ひとかけらでも」 手がかり探す家族、支える人たち

 東日本大震災では、いまも2500人以上の行方がわからず、遺体が見つかったが身元がわからない人も岩手、宮城両県で計54人にのぼる。骨のひとかけらでも、戻ってきてほしい――。大切な人を捜し、それを支える人たちの営みは、これからも続く。 【震災特集】会いたい、会わせたい東日本大震災から10年。行方不明者はなお2500人を超え、今も家族を捜す人たちがいる。遺体の身元捜査を続ける警察、身元が分かっているのに引き取り手がない遺骨……。「会いたい」「会わせたい」。人々の思いが交錯する  献花の会場となった岩手県陸前高田市の市民文化会館。その別室に設けられた相談会場に11日朝、行方不明の妻を捜しているという男性(74)が訪れた。「身元不明の遺体の似顔絵が、私の妻に似ていると知人から聞いたので」  黒いネクタイをしめた岩手県警科捜研の佐々木善敏さん(58)が、「7年前にも、きてくれた人だ」と思い出しながら、似顔絵が挟まれている分厚いファイルをめくる。データベースに登録されたDNA型の採取状況などを調べたが、妻と一致するものはなかった。「残念だけど、また来てみようかな」と話す男性を、佐々木さんはもどかしい思いとともに見送った。  震災直後、佐々木さんは盛岡市… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会 - 朝日新聞デジタル