次々と断られた取材依頼 感染体験を実名で語れない社会
取材考記 オピニオン編集部・藤田さつき記者 なぜ新型コロナに感染した人が責められてしまうのか。この問いを論者2人と考える耕論「感染者を責める私たち」をオピニオン面で担当した。 「自分は責めない」と違和感を持つ人がいるかもしれない。それでも企画であえて「私たち」を主語にしたのは、コロナ禍で「責める」ことが、感染者に対する誹謗(ひぼう)中傷という直接的な行為だけでなく、心の中や、感染予防に汲々(きゅうきゅう)とする日々の暮らしにも広がっているのではないかと考えたからだ。 例えば、感染者のニュースを見て「我慢できず出かけたから」「身近で出ると迷惑だな」と感じること。消毒をちゃんとしない家族にいらついたり、公園で子どもを遊ばせると怒られるのではと心配したり。この春以降、責められる恐怖や責めてしまう自己嫌悪を心に抱え続けている人は多いのではないだろうか。私自身、そうだ。 そこで、「責める」ことを否定する前にその根に何があるのかを知りたいと思った。心理学者の三浦麻子さんが「不安だから責めてしまう」人間心理のメカニズムを、同僚記者が取材した歴史学者の與那覇潤さんは「迷惑を掛け合えない日本社会の負の個人主義」という問題の深層を示してくれた。 この企画ではもともと、3人の論者に登場してもらいたいと考えていた。あと1人は、感染体験者だ。責められる苦しさ、周囲のことを思って自責の念に駆られるつらさ。それがどんなに心を傷つけるか伝えるためにも、当事者に語ってほしいと考えた。 だが取材依頼は次々と断られた… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちらSource : 社会 - 朝日新聞デジタル