一人、また一人といなくなった友 旗手を務めた学徒兵が感じたこわさ
「自分たちは、捨て石の世代だった」 仙台市太白区の老人ホームで暮らす川島東(のぼる)さん(99)は、青春時代をそう振り返る。 夢を抱いて入った大学生活は、戦争一色に塗り込められ、友たちの多くが卒業証書を手にすることなく、戦地で命を落とした。 川島さんが語る。 東京が初めて空襲に襲われたのが、1942年4月です。それが境でしたね。 まちは戦時体制に染まってゆく。 私は政治・経済を学ぼうと、川崎市の実家から東京・神田の専修大学に通っていました。 講義に代わり、軍事教練が増えてゆく。スポーツは球技がなくなり、射撃や柔道や剣道といった体育訓練が強化された。学生食堂のライスカレーは、雑炊に変わりました。 そして43年、文科系学生の徴兵猶予が停止された。 学徒出陣です。 その年の10月21日、明治神宮外苑競技場に関東一円の大学生数万人が集められ、文部省主催の出陣学徒壮行会が開かれました。土砂降りの中、「海ゆかば」の大合唱 朝はまだ小雨でした…この記事は有料記事です。残り1282文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル