ニュース

ミシェル・ヨー、還暦でつかんだハリウッド頂点 アジア系女性で初

 第95回米アカデミー賞で、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(略称エブエブ)」で主役を演じたミシェル・ヨーが、同賞の約100年の歴史でアジア系として初の主演女優賞に選ばれた。昨年還暦を迎えたヨーは、ハリウッドでデビュー後30年近くの経験を積み重ね、俳優の頂点の賞を勝ち取った。 「これは希望の道しるべだ。夢を大きく持てば、実現することを証明した」 12日の授賞式。真っ白のドレスをまとったヨーは、オスカー像を手に涙ながらにそう話した。■「私と同じ容姿のすべての小…この記事は有料記事です。残り1043文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

袴田さんの再審開始を決定 東京高裁 57年前の強盗殺人事件

 57年前の1966年に静岡県でみそ製造会社の一家4人が殺害された強盗殺人事件をめぐり、死刑が確定した袴田巌さん(87)=浜松市=が裁判のやり直しを求めた再審請求審で、東京高裁(大善文男裁判長)は13日、再審開始を認める決定を出した。高裁はいったんは静岡地裁の開始決定を取り消したが、最高裁が高裁に審理を差し戻した結果、結論が変わった。 今後は、検察側が特別抗告すれば再び最高裁で審理される。検察側が特別抗告を断念すれば再審開始が確定し、静岡地裁で再審公判が開かれ、袴田さんは無罪となる公算が大きい。 事件は66年6月に発生した。静岡県の旧清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社の専務(当時41)方で一家4人が刺され、現金20万円などが奪われ、放火された。県警は同年8月、元プロボクサーでこの会社の従業員だった袴田さんを逮捕した。袴田さんは捜査段階で自白したとされたが、静岡地裁で裁判が始まると否認に転じた。裁判中に見つかった「犯行着衣」 公判中の67年8月、別の従業員が会社のみそタンクの底から、血痕のついたTシャツやズボンなど5点の衣類を発見した。検察はこれが袴田さんの犯行時の着衣だったと主張。地裁は、衣類に袴田さんと同じ血液型の血がついていたことなどから「衣類は袴田さんのもので、犯行時の着衣」と認め、68年に死刑を言い渡した。死刑判決は80年に最高裁で確定した。 一方、2008年に申し立てられた第2次再審請求審で、静岡地裁は14年に再審開始を決定した。「血痕は袴田さんとは別人のもの」としたDNA型鑑定結果の信用性を認めたほか、「衣類を約1年間みそに漬けると血痕は黒褐色になるのに、発見時の衣類に赤みが残っているのは不自然」という、再現実験に基づく弁護側の主張を認めた。 衣類については「発見直前に捜査機関が投入した捏造(ねつぞう)証拠の疑いがある」とも述べ、袴田さんの死刑の執行停止と釈放も決めた。「衣類の血の色」が争点に しかし、東京高裁は18年、DNA型鑑定の手法の信用性を否定し、血痕の色の変化をめぐる弁護側の再現実験の正確性も認めず、再審開始を取り消した。 最高裁は20年、DNA型鑑定の信用性を否定した高裁の判断は支持する一方、血痕の色の変化について「審理が尽くされていない」として高裁決定を取り消し、審理を差し戻した。 1年余りみそに漬かった衣類の血痕は黒褐色になるのか、赤みは残るのか――。差し戻し後の高裁では、最高裁が絞り込んだ争点を集中審理した。弁護側と検察側の双方が鑑定書などを提出し、5人の専門家に証人尋問した。 検察側は「みその量や酸素濃度によっては赤みが残る可能性はある」と主張。21年から約1年2カ月にわたる実験を行い、裁判官が実験を視察していた。(村上友里)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

痛部屋に忍者部屋、壁には効果音も オタク愛あふれるゲストハウス

 漫画やアニメへの愛を詰め込んだゲストハウスが岡山県玉野市にある。東日本大震災を機に自分の「好き」を追い求めた女性が、6年前に開業した「オタクによる、オタクのためのゲストハウス」。今、国内外から人々が集まり交流を重ねている。 同市の宇野港のフェリー乗り場前に建つ築100年以上の木造2階建て。かつて地元民に愛された割烹(かっぽう)旅館「魚伊旅館」だった建物は今、ゲストハウス「UOI(うおい)」(同市築港1丁目)として人びとを迎え入れている。 ファンにはたまらない仕掛けが満載だ。入り口手前の壁には、漫画の背景画のような「ゴゴゴ」や「ドドド」などの効果音があしらってある。利用客の記念撮影スポットとして人気だ。 客室も、アニメキャラクターの大量のぬいぐるみやポスターを楽しめる「痛部屋の個室」や、手裏剣型の飾りや忍者のコスプレ衣装が配置してある「忍者の個室」などがある。 館内には他にも、県出身の漫画作家、岸本斉史(まさし)さんの作品「NARUTO―ナルト―」など約400冊を置いたコーナーがあったり、キャラクターのフィギュアなどがずらりと並んだりしている。キャラの置物や手書きの絵も所々に飾られている。東日本大震災の被災者であるオーナーが、ゲストハウスに込めた思いとは 元割烹旅館ということもあり…この記事は有料記事です。残り1323文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

籠池夫妻が出頭「今後も真相解明のため活動」 補助金詐取で実刑確定

森下裕介 松浦祥子2023年3月13日 10時08分 学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐる補助金の不正受給事件で、詐欺などの罪で懲役5年の実刑が確定した理事長の籠池泰典氏(70)と、懲役2年6カ月の実刑が確定した妻の諄子氏(66)が13日、大阪市内で記者会見した。泰典氏は「判決には承服できないが、わが国の法制度を尊重し、従う所存だ」と述べ、大阪高検に出頭した。大阪拘置所に収監される見通し。 会見では「服役にあたって」と題する文書を泰典氏が読み上げ、「森友事件に関する真相は今なお隠されたままです。私どもは今後も真相解明のために活動するつもりです」と述べた。 確定判決によると、籠池夫妻は2016年、大阪府豊中市内の国有地に小学校を建設するため、工事代金を水増しした虚偽の契約書を提出するなどし、国の補助金約5600万円を詐取。11~16年度には、大阪市内で運営する幼稚園で、在籍する専門職員の数を実際より多く申告し、府と市の補助金約1億2千万円をだまし取るなどした。 籠池夫妻は今年1月に最高裁に上告を棄却されて以降、ユーチューブで自身の近況などを発信してきた。泰典氏は「判決文を見ると、ちょっとおかしいんじゃないの、ということは皆さんわかると思う。私は国策捜査だと言ってきた」などと持論も展開していた。(森下裕介、松浦祥子)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

ホストクラブ巡るトラブルの影 売り上げ支える「カケ」とその変化

 「ホストだけはいつでも自分を認めてくれると感じていた」 半年前までホストクラブに月300万円を支払っていたという東京都内の風俗店勤務の20代女性は、自身をそう振り返る。 「典型的な『ホス狂』です」「ホス狂い」。狂うほどホストに入れ込む女性をあらわすネットスラングが飛び交う。風俗店で働くほどに夢中になった女性、元ホスト側のそれぞれに聞いた。ホストに紹介された仕事先は 女性は小中学校の時に、体形…この記事は有料記事です。残り1870文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

死者と生者が再会する「じゃんがら念仏踊り」 被災の浜で深めた意味

 なーはーはーはいー もーほーほーほいー わーはーあはーはいー めーへえーへえー             福島県いわき市の久之浜。昨年8月、伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」が、こんなゆったりとした調子の歌で始まった。 じゃんがらは、市内各所に伝わり、新盆の家々を回る供養の踊りだ。十数人の着物姿の楽団が、腹に下げた太鼓と、手に持った鉦(かね)を打ち鳴らして、歌い、踊る。 楽団の一人、遠藤諭さん(46)は、演じる前、遺族に問いかけた。「(生前に)伝えたかった言葉はありませんか」        津波に襲われた浜で遺体と向き合う あの日、2011年3月11…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「ふれる」は生きること、コロナ下の視覚障害者 震える腕つかまれた

 「ふれる」ことを誰もが不安視した3年間。 「ふれない」と生きていけない視覚障害者は、どう過ごしたのだろうか。 東京・高田馬場。学生街の喧噪(けんそう)が漂うビルのワンフロアに「ふれる博物館」はある。日本点字図書館が2018年に設立した。 現在の企画は「石を感じる」。 アンモナイトやオウムガイの化石を、森登美江さん(72)がいとおしそうに触れていた。両手で覆って全体像を確かめ、徐々に片手で細部を確認する。その間15分。 「こんな所に穴があるのね。縦から見たらどうなのかな。逆から見たら?」 夢枕獏さんの小説「月に呼ばれて海より如来(きた)る」に登場する二つの貝の話を何度も読んで、あこがれていた。 「本が大好きなので、興味を持った物は、なんでも見たいの。子どもの時からそう。何を見ても楽しいの」 1歳半の時に、はしかによる高熱で失明。マッサージの仕事をしながら暮らしてきた。森さんは「ふれる」を「見る」と言う。 コロナの感染者が増え始めた3年前。3カ月は家からほとんど出なかった。 エスカレーターに乗るにも、バスに乗るにも、必ずどこかにふれて、距離感を測る。点字にふれて文字を読む。 「エレベーターのボタンを棒で押すなんてことできないし、ふれるたびにアルコール消毒していたらきりがない。他の人の10倍だもの」人への恐怖 駅での出来事 でも、外出できない一番の理…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

客足戻ってきた「ふれる博物館」 コロナ下の逆風、でも閉じなかった

江戸川夏樹2023年3月13日 8時00分 展示品に心ゆくまで触ってくださいという博物館が東京・高田馬場にある。「ふれる博物館」。日本点字図書館が2018年に設立した。視覚障害者を中心に、誰もが無料で利用できる。だが、「ふれる」ことに過敏となったコロナ下で、博物館の来場者は5分の1となった。 博物館の入り口には、レオナルド・ダビンチの絵画「最後の晩餐(ばんさん)」の模型版がある。イタリアの作家が創作し、世界に3個しかないという。 「テーブルクロスのしわも指で感じる。細かい描写で描かれた絵画だと、模型を通して知った」と視覚障害者に評判だった。 「視覚障害者にとって、ふれることは見ること。ふれなければ生活できない」と伊藤宣真館長は言う。コロナ下で当たり前となったソーシャルディスタンスも、視覚障害者にとっては距離感がわからない。 博物館はコロナ下でも予約制にして、展示を続けた。「好きにふれていい、そして、外に出るきっかけになる場所を作りたかった」 現在はコロナ前の客数が戻りつつある。 3月18日まで、企画展「石を感じる」を開催中。アンモナイトや地域ごとにさわり心地が異なる軽石、南極の石もふれ放題だ。 視覚障害がない人も、「ふれることで新しい発見がある」と訪れているという。 開館は毎週水、金、土曜の午前10時~午後4時。電話(03・3209・0241)で事前の予約が必要。(江戸川夏樹)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

避難所で身につける黄色いバンダナ 「支援が必要」ひと目で判別

角津栄一2023年3月12日 10時45分 群馬県安中市は、災害時に障がい者や妊婦らが支援を受けやすくなるよう、「支援が必要です」などと記されたバンダナ1500枚を作成した。各避難所に配備し、身に着けることで、支援が必要であることを周囲に伝えられる。 大きさは80センチ四方で、黄色。四隅に「目が不自由です」「耳が不自由です」「体が不自由です」「支援が必要です」と記載されており、このうち自分が該当する部分が首の後ろに来るよう身につける。 「目が不自由です」と記載された角には、裏側にリボンを縫い付けて判別しやすくしている。(角津栄一)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

マイクで「山梨の人守る」 福島で被災したアナ、12年目に誓う使命

 東日本大震災から11日で12年となった。原発事故が起きた福島に、山梨から特別な思いを向け続ける人がいる。(池田拓哉) 「久々に福島の松川浦に行くんですよ」。こう語るのは、マイクの力で災害から人々を守る使命と向き合う、甲府市の山梨放送(YBS)アナウンサー、和泉義治さん(40)だ。 コロナ禍になるまで、妻の実家がある福島市に帰省した時には、福島県相馬市の松川浦漁港まで車を走らせずにはいられなかった。復興がどれくらい進んでいるか、ずっと気がかりになっているからだ。 松川浦を訪れるたび、潮の香りを浴びて船のエンジン音を聞きながら、一緒に写真に納まった取材先の漁師たちの顔を思い浮かべる。身を案じながら「がんばって」と心の中で声援を送る。そして自らに問い続ける。「山梨で災害が起きた時、自分には救える命があるだろうか」と。「本当の情報を伝えてくれ」避難所でせがまれ 12年前、東日本大震災の発生時、ラジオ福島(福島市)のアナウンサーだった。当時、28歳。発生直後から、水やガソリン、入浴施設の情報などが多数寄せられ、関係先に確認しながら放送した。昼夜を問わず福島県内を取材とリポートで駆け回った。沿岸部は道がうねり、船や家が打ち上げられていた。 取材で訪れた避難所では「原発は大丈夫なのか。本当の情報を伝えてくれ」と何人にもせがまれた。身内に不幸もあった。福島県内で入退院を繰り返していた妻の祖母は余震や停電が繰り返されるなかで体調を崩し、2週間後に亡くなった。 取材で訪れた松川浦は東京電力福島第一原発から北に約40キロ。漁港は県内一の漁獲量を誇る象徴的な場所だ。それが震度6弱の揺れと津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた。原発の高濃度汚染水が流れ出した影響で、漁業は一時、全面操業自粛に追い込まれた。 何度も足を運び、漁に出られないたくさんの漁師たちの悲鳴を聴いた。「生きていることは決して当たり前ではない」と、被災した土地や人、親戚に接して身をもって知った。そして、ここに暮らす人たちが、みんなで支え合って生き抜こうとしている。そんな姿が印象的だった。夢見つけ山梨へ 「避難してきたんですか」 震災は、和泉さんがちょうど新たな夢を見つけ、福島を離れようとした矢先に起きた。8カ月後には転職先の山梨へ。「被災地から逃げたと思われているのではないか」。そんな思いが頭によぎり、後ろめたさをずっと引きずった。 11年末、YBSに入社し、震災前からあこがれていたテレビの世界にも活躍の幅が広がった。都留文科大学(山梨県都留市)の卒業生でもあり、山梨は親しみのある土地だった。 一方、山梨県内で投げかけられる「避難してきたんですか」という何げない一言に傷ついたこともあった。福島に暮らし続ける人たちには「そばで復興の力になれず申し訳ない」という感覚を持つようになった。 「放送を通じて災害から人々を守る」。震災の経験から、そんな強い思いは変わらない。だが、痛恨の思い出もある。 14年2月の豪雪で、山梨県内では1メートルを超える記録的な積雪となり、車内に閉じ込められるなどして5人が死亡した。山梨で雪が人の命を奪うとは思わなかった。「外出を控えるよう放送で呼びかけていれば、救える命があったかもしれない」。災害への想像力が足りなかったと悔やんだ。 いま、富士山の噴火による災害を心配する。「福島もかつては大震災への警戒が薄かった。災害は突然やってくる。山梨の人々を守る力になりたい」。いま一度、福島の海に誓う。     ◇ 2011年3月11日、山梨県内では中央市や忍野村で最大震度5強の揺れを観測。2人が負傷し、住宅4棟が一部損壊した。12日早朝にかけて最大14万世帯以上が一時停電した。 県内では震災や原発事故からの避難をきっかけに、今も県外から452人(3月1日現在)が身を寄せ続けている。中央市が146人で最も多く、甲府市が82人、笛吹市が56人で続く。福島県からの避難者は376人で8割強を占める。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル