社会

大阪の民泊で騒音トラブルか 宿泊男性切られる 下の部屋の男を逮捕

2022年8月14日 16時30分 14日午前11時5分ごろ、大阪市西成区天下茶屋3丁目の民泊施設で、宿泊していた女性から「友達の夫が部屋のドアを開けたら、カッターを持った男に切られた」と110番通報があった。千葉県袖ケ浦市の男性(40)が首や太ももを切られ、搬送された。命に別条はないという。駆けつけた警察官が、真下の部屋に泊まっていた男を殺人未遂容疑で緊急逮捕した。 逮捕されたのは、モロッコ籍で住所不詳、無職のボーレンワール・アブドラ容疑者(50)。「弁護士が来るまで答えたくない」と黙秘しているという。 大阪府警西成署によると、けがをした男性は妻と未就学児の子ども、知り合いの女性とその子どもの計5人で泊まっていた。事件直前、容疑者が部屋を訪ねてきて、「うるさい」と伝えてきていたという。同署は騒音トラブルの可能性があるとみて調べている。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

熊谷・千葉県知事がコロナ感染 軽症、公務はテレワークで

 千葉県は14日、熊谷俊人知事が新型コロナウイルスに感染したと発表した。この日朝に38・0度の熱があり、かかりつけ医で受診し陽性が判明したという。23日まで自宅で療養する。軽症のため、テレワークなどで公務に対応する予定で、職務代理者は置かないという。 熊谷知事は「県民の皆様にはご心配をおかけして申し訳ございません。県政運営に支障が出ないよう、連絡体制をしっかりと取りながら公務にあたってまいります」とコメントを出した。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

元日本代表・高原直泰さん、北緯26度で目指す5000杯の収穫

 サッカー元日本代表FWで、現在、J1から五つ下のカテゴリーにあたる地域リーグ・沖縄SV(エスファウ)の選手兼監督兼代表を務める高原直泰(43)。往年のストライカーはいま、沖縄に渡り、サッカーと並んでコーヒーの栽培に取り組んでいる。大企業や自治体との連係プレーによって、コーヒーを沖縄の新たな特産物に育てるのが目標という。それにしても、なぜコーヒーなのか。サッカーとの関係は。その狙いを聞いた。――そもそもなぜ沖縄に? 「国の出先機関から沖縄のスポーツ産業の『モデルケースになってほしい』と誘われた。『面白い話だな』と思った」 「若い頃は純粋に日本人のFWとして海外で勝負したいと思った。でも、35歳ぐらいになって選手生活の終わりを考えたとき、サッカー界に受けてきた恩をどうすれば返せるかを考えた。そのタイミングで話をもらった」――ゼロからの立ち上げだった。 「やるからにはとことんやる覚悟で行かないとダメだと思った。本土のマンションを売って、生活必需品だけ持って移り住んだ」 「外車も売った。練習に必要な道具も自分で買って、それを運ぶのも自分なので、大型ワゴンに乗り換えた。沖縄に来て最初の3年間は基本的に(資金は)持ち出しだった」――失敗するのではという懸念は? 「撤退は一切考えなかった。うまくいかないなら、それは自分が中途半端な仕事をしているってことだから。別に悪いことをしようとしているわけでもないし(笑)」 ――コーヒー栽培の現状は? 「2カ所のクラブ直営農場と7軒の協力農家など計11カ所で栽培している。木は全部で約6500本。今年の11月から来年3月にかけての収穫を見込んでいる。5千杯ぐらいは飲める収穫量をめざしている」――コーヒー栽培の難しさは? 「一番は台風による強風だ。苗木が倒されたり、葉が根こそぎ持っていかれたり。あと、沖縄特有の事情として強い日差しによる葉焼けで、葉が黄色くなってしまう」自分たちで稼ぎ、地域の課題も解決――サッカークラブがコーヒーを栽培することの意味は? 「そこはいつも(取材相手に)修正するところ。SVはサッカークラブじゃない、スポーツクラブなんだ、と。何となく(元日本代表FWが率いるチームが)Jリーグをめざしてやっていきますというのでは、俺がクラブ経営をやる意味はない」――農業への挑戦は地域貢献の一環? 「当然それもあるが、クラブ経営ってボランティアの感覚でやっても持続できない。自分たちでしっかり稼いで、なおかつ地域の課題を解決できるものって何かなって考えたときに出会ったのが農業だ」――コーヒーに着目したのは? 「コーヒーは赤道を挟んだ南緯25度から北緯25度の『コーヒーベルト』が産地で、沖縄本島は北緯26度に位置する。沖縄でもコーヒーを作っている人がいるらしいと聞いたので、ハワイのコナコーヒーのような特産物になったら面白そうだなと思った」パス出した相手は往年の・・・――そこで協力を求めたのが、以前所属していたJ1ジュビロ磐田で当時メインスポンサーを務めていた企業だった。 「栽培のノウハウはないので、とてもじゃないが自分たちだけではできない。やっぱりコーヒーと言えばネスレ日本さんしかないなと思って、話を聞いてもらった」――沖縄に根付けるか? 「コーヒー栽培は10年、20年単位の長いスパンで考えないといけない。その作業を続けることが、サッカー以外の競技やコーヒー以外の農作物の栽培など、クラブの裾野を広げる力になる」(敬称略)(聞き手・金子智彦)たかはら・なおひろ 1979年6月4日、静岡県三島市生まれ。清水東高から98年ジュビロ磐田入団。2001年途中からボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)へ期限付き移籍。02年、復帰した磐田でJ1制覇に貢献し、J1得点王、最優秀選手、ベストイレブンに選ばれた。ドイツ1部ハンブルガーSVなどでもプレーした。06年ワールドカップドイツ大会代表。国際Aマッチ57試合出場23得点。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

新発見「一〇〇式」偵察機の尾翼 76年ぶり再会をつないだ機体番号

 「七十何年もたって、再びお目にかかれるとは」 藤原洋さん(94)は、A4判に拡大したモノクロ写真を見ながら言った。 草地に置かれた、1機の軍用機。流線形の美しいシルエットをしている。 旧制の東京都立航空工業専門学校1年生の頃、学友と危険を冒して撮った思い出の1枚だ。 「あの頃はね、後世に残そうなんて考えていなかった」     □ 昨春、府中市ふるさと文化財課の電話が鳴った。 調布飛行場の近く、同市白糸台に住む戸井田和義さん(65)宅で旧日本軍機の翼の一部が見つかったという。「貴重なものではないか」という相談だった。 戸井田さん宅を訪ねた同課の英(はなぶさ)太郎さん(59)は一見し、水平尾翼とわかった。片翼だけだが、長さ2メートル以上ある。調布飛行場の主力戦闘機だった「飛燕(ひえん)」より明らかに大きい。 和義さんによると、2006年に84歳で亡くなった父・義三さんが土蔵で長年保管していたものという。 義三さんは戦前、空母の乗組員だった。マリアナ沖海戦で九死に一生を得て、広島・呉で艦上から原爆の閃光(せんこう)を目撃した。 復員後、自宅近くに戦闘機らしき翼が遺棄されていた。懐かしさから持ち帰り、とっておいたのではないか、という。 英さんが防衛省防衛研究所に写真を送って尋ねると、旧陸軍の「一〇〇式司令部偵察機」の可能性が高いことがわかった。 昨年8月、市の平和展で展示した。航空機に詳しい人も次々訪れ、新たな知見がもたらされた。ステンシル文字解読、そして…… 外板の継ぎ目やリベットが打たれたあとにパテが塗られ、滑らかな仕上がりになっている。敵機から逃げ切る高速度が求められる偵察機ならでは、という。 大きな成果が、翼下面の消え…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

都バスで疎開した公文書1万冊 空襲だけでなかった戦時の危機とは

 東京・丸の内。 レンガ造りの都庁舎の中庭に紙の束が次々と放り出されたのは、戦局が悪化した1943年秋か冬のことだと思われる。東京都職員の川崎房五郎さんは目の前で、その光景を目撃した。 山積みされていくのは、江戸から東京へと文明開化の歩みが記された明治期の東京府公文書、約1万冊。この年の夏、東京府と東京市が合併して「東京都」になり、約16万冊に及ぶ文書が都に引き継がれた。その一部だった。 川崎さんは早稲田大学の史学科を卒業し、東京市に入庁した。拝むように東京府から文書を借り出しては、それをもとに市史の編纂(へんさん)にあたる。そんな仕事をしてきた。なのに、のどから手が出るほど欲しかった資料を旧府職員は野外に放り出す。「何としてでも、どこかへ保存を」。そう説いてまわった、と本人が生前のメモに残している。「廃棄」と「焼却」、迫る危機 このころ官庁の公文書保存には「廃棄」と「焼失」という二つの危機が迫っていた。 開戦から丸2年がたち、世の中からさまざまな日用品が消えた。紙もその一つだった。のちに作家となる山田風太郎は43年12月5日の日記に「去年はまだ紙のいい日記が探せば店頭にあった。ことしは紙の悪いはおろか、日記様のものすらまだ見えぬ」と記した。 使えるものは何でも使うべし、と政府は2カ月後にはこんな通知を出す。 官庁の保存文書に徹底的に再…この記事は有料会員記事です。残り1929文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【無料会員限定】スタンダードコース(月額1,980円)が3カ月間月額100円!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

ぐんまちゃんナンバー、来年10月にも誕生へ 「群馬の魅力を発信」

杉浦達朗2022年8月14日 9時13分 群馬県のマスコットキャラクター「ぐんまちゃん」をあしらった車の「図柄入りナンバープレート」が導入される見通しになった。県が7月、導入の意向を国土交通省に伝えた。デザインは県民アンケートなどを通じて検討し、決める。国交省の審査を経て、来年10月の交付を目指す考えだ。 図柄入りのナンバープレートは、地域やイベントの魅力発信などのために2017年に始まった。全国各地の名物や名所をあしらった地域限定のほか、ラグビーワールドカップや東京五輪・パラリンピックにちなんだ全国で申請可能なものもあった。 現行の県内ナンバーは「前橋」「高崎」「群馬」の3通り。このうち前橋市と吉岡町の住民が使う「前橋」ナンバーだけは、すでに赤城山があしらわれた図柄入りのナンバーが交付されている。県は、三つのナンバーで共通して使える図柄入りのナンバーをつくろうと、検討を進めていた。 県地域創生課によると、図柄はぐんまちゃんを使うことが決まっており、これから複数の案をつくる。今年10月ごろに県民向けのアンケートを実施し、決定した図柄で11月に国交省へ申請する予定だという。 担当者は「群馬全体で県の魅力を発信するチャンス。アンケートが始まったら、多くの意見をいただきたい」と話している。(杉浦達朗)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「日本語」が笑い誘った、米兵を救った あの夜、B29が墜ちた村で

 光が弾のように飛び散った後、大きな火の玉が回転しながら落ちていった。 「真っ赤ではなく、虹色のようにいろんな色で、すごくきれいに見えた」。松丸正二さん(84)の脳裏に、77年前の夜の光景が鮮明に残っている。 太平洋戦争末期の1945年5月25日夜~26日未明ごろ。千葉県船穂(ふなほ)村(現印西市)の上空で、日本軍に迎撃された米軍のB29爆撃機が空中分解した。船穂村の武西(むざい)地区に住む松丸さんは、機体の一部が火を噴きながら回転するのを見た。当時6歳だった。 近くの六合(ろくごう)村(現印西市)では「米兵が近くにいるらしい」といううわさが飛び交った。撃墜されたB29から落下傘で脱出して生き残った乗組員が捕まり、村役場に連行された。 一高(現在の東京大学教養学部)の学生だった岡田裕之さん(93)=法政大名誉教授=は、村内の実家に帰省中だった。岡田さんは26日夜のことと記憶している。英会話ができたため、いとこに「通訳をしてほしい」と頼まれ、役場に行った。 狭い部屋に、鎌や包丁などを持った村人が集まり、「殴れ」「殺せ」「たたけ」と殺気立っていた。米兵が体を震わせていた。77年前、千葉県内のある村に米軍のB29爆撃機が墜落しました。米軍による空襲が激化した戦争末期だった当時、B29は日本人にとって憎悪と恐怖の対象でした。B29が落ちた村でその時、何があったのか。関係者の証言と資料からたどりました。落下の風圧で吹き飛ばされた父は B29が撃墜された夜。船穂…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

侵攻の現実と突然の逆風 「平和が大切」だけで終わらせないために

 会場は気まずい雰囲気に包まれた。 7月、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)であった戦争の講話。空襲で友人を失った体験を語る二瓶治代(86)に質疑応答で、男子大学生が「日本も軍備を広げないといけないのではないか」と問いかけたからだ。ウクライナ侵攻を踏まえ、平和を保つためという理由だった。 約20年間、証言をしてきた二瓶にとって、講話の場で直接、軍拡の必要性を自分に投げかけられたことはなかった。衝撃だった。 質疑前、二瓶は東京大空襲で火の海を逃げ惑い、焼け焦げた遺体を踏まないよう歩いた体験を話していた。ウクライナでも子どもが犠牲になっていることを重ねて「戦争が始まる前に止める努力をしてほしい」と呼びかけていた。 二瓶は男子学生の質問に対し…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

めくれば恐竜の生態わかる? 化石の宝庫・北海道がカレンダー制作

 恐竜の化石の宝庫として知られる北海道。その魅力を知ってもらうための「ほっかいどう恐竜・化石カレンダー」を企画している道が、制作費を寄付でまかなうためのクラウドファンディング(CF)を始めた。時代を追いながら、北海道の成り立ちや、すんでいた生物がひと目でわかるカレンダーを目指している。 カレンダーは、北海道が誕生した草創期(白亜紀)から現代までの1億4千万年の歴史を1年に見立てた。白亜紀を1月1日、現代を12月31日とし、各地質時代が1年のどの期間にあたるかを明示。恐竜やアンモナイト、大型哺乳類といった各時代の特徴的な生物を、当時の北海道の状況と併せて紹介する。特定の年の月日や曜日を示す一般的なカレンダーとは異なる。 制作費を、CFによる寄付でまかなうための目標額は50万円。募集期間は10月31日までで、5千部の作成を目指している。道は2020年にも、CFを活用して「ほっかいどう恐竜・化石マップ」を制作しており、この時は目標額203万円を超える約280万円が集まった。 プレートの移動などによって…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

セミの命、1週間よりずっと長いんだ 地道な自由研究で突き止めた

 都会暮らしの猿・モンジロー君が、くらしの中の「なぜ?」を深掘りする「疑問解決モンジロー」シリーズ。せみしぐれの季節がやって来たけど、俗に言われる「セミの命は1週間」は本当なのかな? ウキキッ、調べてみよう。(2019年8月26日付の記事を再掲します)印つけ調査、寿命32日のアブラゼミも! 地道な方法でセミの寿命を確かめた高校生がいると聞いて岡山県立笠岡高校を訪ねたよ。サイエンス部の3年、植松蒼(そう)さん(18)は小学1年の夏から毎年、自由研究でセミを調べているんだって。 調査は2016年、中学3年の夏休み。夏の間にセミの死骸をあまり見ないことに気付き、こんな仮説を立てたんだ。「一般的にセミの成虫は10日前後の命といわれるけれど、もっと長いのでは」 調べた方法はかなり大変そう。網でセミを捕まえて羽に油性ペンで番号を書いてすぐに放し、また捕まえて生きているのを確認できた日数を確認する。個体識別法(マーキング調査)というんだ。 自宅近くの住宅地や公園など4カ所で、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミなど計863匹を捕まえ、そのうち15匹をまた捕まえ、さらに4匹は3度も捕まえたよ。一人で約2カ月もかけたんだって。キキー、すごいね。 その結果、生存を確認できた日数は、アブラゼミ32日、ツクツクボウシ26日、クマゼミ15日。捕まえた前と後も生きているから、実際はもっと長いかもしれないね。 今年5月、植松さんはこの内容を、広島大学で開かれた「中四国地区生物系三学会合同大会」で発表した。地道な研究が専門家たちに評価され、高校生の部(動物分野)で最優秀賞に選ばれたんだって! 植松さんは「疑問に思ったことを次の年に調べる。続けていくうちに知識が増え、点と点がつながって線になる。興味を持って楽しむことが大事」と教えてくれたよ。 どうして「1週間」という通説があるんだろう。 セミの生態に詳しい広島大学…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル