死者8人・重軽症者約600人を出したオウム真理教の松本サリン事件から今年で25年。事件の被害者で、妻をサリンの後遺症で亡くした河野義行さん(69)は、オウムへの恨みや憎しみはないと公言してきた。教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語っていた。なぜ許すのか、許せるのか、を聞いた。 河野義行さん 1950年生まれ。会社員だった94年、松本サリン事件(長野県松本市)に遭う。警察などから犯人扱いされる被害にも。現在は愛知県在住。 ――事件のとき「松本市の会社員(44)」と報道された河野さんがもうすぐ古希なのですね。 「世の中から自分の足跡を消す作業を始めています。住所は知人にもあまり教えていません」 ――事件を知らない人も増えています。あの夜、妻の澄子(すみこ)さんが口から泡を吹き、全身をけいれんさせているのを自宅で見たのですね。記憶は今も鮮明なのですか。 「ええ。彼女の苦しそうな顔を、リアルに覚えています」 ――サリンは猛毒の神経ガスです。自身も被害に遭いましたね。 「死を意識しました。視力に異常が出て部屋が暗くなり、見るものの像が流れ始めて。ドッドッと幻聴も聞こえ、吐き気がして立っていられなくなったのです」 ――被害に苦しむ中、長野県警からは容疑者扱いをされました。朝日新聞を含む報道機関も犯人視する報道をしてしまいました。 「警察からは『犯人はお前だ』『亡くなった人に申し訳ないと思わないのか』『早く罪を認めろ』と自白を強要されました。私が有毒ガスを発生させたかのような報道もなされ、世間は私を松本サリン事件の犯人とみなしました」 ――サリンで脳にダメージを受けた澄子さんは、意識が戻らないまま14年後に亡くなりました。8人目の犠牲者になっています。 「彼女は、しゃべることも動くことも一切できませんでした。できたのは、悲しそうな顔を見せることと涙を流すことだけ。つらい状態の中、私や子どもたちを支えるために生きていてくれたようなものです。だから死は解放とも思えました。『よかったね、やっと死ぬことを許されたね。もう自由だよ』と声をかけました」 ――報道による被害とは、どのようなものでしたか。 「逮捕もされず、まだ裁判も行われていないのに、一瞬にして犯人にされてしまいました。自宅には無言電話や嫌がらせの電話、脅迫の手紙がたくさん来ました。被害者の親戚を名乗る人から『お前を恨む。殺してやりたい』と書かれた手紙が来たこともあります」…
5 ans Il y a