「作陶、炎のように打ち込んだ」 加藤孝造さんしのび900人が参列
有料記事戸村登 本井宏人2023年7月31日 21時00分 4月に88歳で死去した人間国宝の陶芸家加藤孝造さんの追悼式が7月31日、岐阜県多治見市のバロー文化ホールであった。陶芸関係者や市民ら約900人が参列して、やさしく、人なつこかった人柄をしのんだ。 多治見、瑞浪、可児の3市と美濃陶芸協会が合同で開いた。瑞浪町(現・瑞浪市)出身の加藤さんは、多治見市に住み、可児市に築いた陶房で作陶したため3市の名誉市民だった。 追悼式では、映像で作陶の様子などを紹介。友人代表としてヤマカグループの加藤智子(さとこ)代表が「先生の瀬戸黒か志野の茶わんで一緒に抹茶をいただくのが一番の楽しみだった」と思い出を語った。 また、加藤さんの作品収集家で「丸沼芸術の森」(埼玉県朝霞市)の須崎勝茂代表が、「後進へのお手本として381点をお預かりしている。亡くなる直前、病室で『次の個展が控えているよ』と励ますと、手を振って応えてくれた」と話した。 長男の加藤英人さんは「炎のように作陶に打ち込み、厳しい人だったが、おもしろい人でもあった」と謝辞を述べ、参列者らの献花の列が続いた。 加藤さんは、美濃陶芸協会の第2代会長を務め、私塾「風塾」で後進を育成するなど、陶芸界への功績も顕著だった。2010年に瀬戸黒で人間国宝に認定された。(戸村登、本井宏人)■生誕地の瑞浪ではスケッチ画…この記事は有料記事です。残り511文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル