「いまも生きていてくれたら…」 北海道胆振東部地震被災地で追悼式

 最大震度7を観測し、災害関連死を含め44人が犠牲になった北海道胆振東部地震から6日で4年を迎える。被害が大きかった厚真町で3日に追悼式が開かれ、遺族らが祈りを捧げた。「これからも忘れない」「いまも生きていてくれたら……」。まちの復興は進むが、悲しみの記憶は色濃く残っている。

 「生きていたら、成長した子どもたちをさぞかわいがってくれたでしょう。もう帰る実家はありません。あなたたちにも会えません。当たり前のようにしてくれた不自由ない生活を私たちが家族にできるよう努力します。本当にありがとう」

 遺族56人を含む79人が参列した追悼式。遺族代表で60代の両親と90代の祖母を亡くした中村清人さん(45)が、涙で声を震わせながらあいさつした。

 厚真町では37人が死亡した。宮坂尚市朗町長は、式辞で「信じがたい光景、犠牲者の捜索に望みを託す家族や友人の祈り、町民の不安げな表情は忘れることができない」と振り返った。インフラの復旧は来年度で一区切りとなるが、「山腹崩壊」と呼ばれる大規模な土砂崩れが起きた森林の再生は、2026年度まで重点的に取り組む。

 追悼式の後、会場に献花台が設けられた。

 吹奏楽団の仲間らを亡くした町内の山野下聡子さん(50)は「これからも見守っていてくださいという気持ちで花を供えました」と話した。

 両親と初めて来た厚真中学校1年の堀田桜来(さく)さん(12)は真っ暗な車の中で、家族と体を寄せ合って過ごした不安な一夜を思い出した。学校で東日本大震災で被災した岩手県釜石市の中学生たちと交流し、3月に同市を訪ねて震災当時の避難行動などを学んだ。「釜石では『子どもが逃げれば大人も逃げる』と聞いた。忘れずに実践したい」

 山腹崩壊が起きた吉野地区の献花台には、町内の奈良都さん(44)が同級生の男性(当時39)に祈りを捧げるため、4歳の娘を連れて訪れた。「土砂崩れ跡が怖くて、ようやく昨年から献花に来られるようになった」

 追悼式会場そばにある、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑の前では涙を流す人の姿もあった。

 厚真町出身で札幌市の山口康子さん(76)は、弟の中川信行さん(当時62)と中川さんの妻を失った。3姉妹の下に誕生した待望の弟。町役場に就職し、被災当時は町理事兼まちづくり推進課長だった。

 山口さんは「電話がつながらなくて、地震の対応で奔走しているとばかり思っていた。元気だったら、親族で楽しく話ができただろうと思う」と、悔しさをにじませていた。

 地震は18年9月6日午前3時7分に発生。厚真町や周辺の安平(あびら)町、むかわ町で大きな被害が出た。山腹崩壊が起き、就寝中の住民が住宅ごと押し流された。直後に道内のほぼ全域が停電し、国内で初めて「ブラックアウト」(全域停電)が起きた。(佐々木洋輔、石垣明真、松本英仁)

■厚真、むかわ、安平の3町長…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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