「えらいこっちゃ、絵が…」泥靴で駆け込んだ助教授 その日の高松塚

 1960年代、奈良県明日香村内にあった小さな墳丘で、ショウガを貯蔵する穴を掘っていた農家が人工的な切り石を見つけた。

 昔から、古墳であることは地元で知られていたが、発掘調査が行われたことはなかった。

 「中にはきっと石室があるんやろうなあ」

 村議1期目で、後に議会の観光特別委員長も務める関武は、考えを巡らせていた。30代後半のころだ。

 飛鳥時代(6世紀末~8世紀初め)、この村は政治・文化の中心地。村内一帯に歴史的な遺産が眠る。中でも蘇我馬子の墓とされている石舞台古墳(国特別史跡)などが脚光を浴び、観光客が急増していた。

 村は観光対策や村民の利便性向上のため、史跡などを巡る周遊歩道の建設計画を進めていた。「高松塚古墳のあたりはこれといったものがなくてね。発掘して石棺でも見つかれば、見学してもらう場所が増えるという思いがありました」

 村は71年秋、発掘費用として50万円を計上し、奈良県橿原考古学研究所に発掘を依頼した。所員でもあった関西助教授の網干(あぼし)善教が発掘責任者になった。

 網干の実家は村内にある寺だ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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