「オラたち忘れられるべ」 残酷な構図、寄り添い映画に

 映画監督の中村真夕さんが福島の取材を始めたきっかけは、全町避難の町に残る男性の存在だった。「震災10年が終わったらオラたちは忘れられるべ」。レンズを通して見たものとは。

――東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で、避難指示区域に残った住民の姿を通し、被害の甚大さを訴えた映画「ナオトひとりっきり」(2015年公開)を制作、今も続編の取材を続けています。端緒を教えて下さい。

なかむら・まゆ 東京、京都で育つ。米コロンビア大学大学院、ニューヨーク大学大学院修了。

 大震災のドキュメンタリー番組づくりにかかわっていて、東北の被災地を何度も訪ねていました。「次は福島を」と思っていた矢先、原発から12キロの富岡町に一人残って動物の世話をしているという松村直登さん(61)が外国メディアに取り上げられていた。それが始まりです。

 国内メディアはほとんど報じていないので、テレビ局に「こんな人がいます」と企画を持ち込んだところ、「そんな危ないところに行かせるわけにはいかない。責任を取れない」と。だったら、自分一人で行こうとなりました。

――自身の健康被害を心配しませんでしたか。

 最初はかなり心配しましたし、放射能について勉強もしました。原発問題を撮り続けている女性監督に話を聞きにも行っています。周りから心配されましたが、最後は「覚悟して行くしかない」と。

 初めて訪ねたのは13年夏でした。松村さんに聞いてみると、国内メディアもすでに何人も取材にきていました。ただ、意欲的に取材して帰るのに記事にならなかったそうです。だから、当初は「どうせ出ねえべ」と私にも懐疑的でした。

 自分はフリーの映画監督で、映画館での上映を前提にしていると話しました。心を開いてくれたのは2、3カ月後でしょうか。

――松村さんは自宅になぜ残ったのでしょう。

 初期の頃、それを毎回尋ね続け…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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