「ガレキからビキニへ」 被災したビーチで見えた「よそもの」の役割

 仙台市から車で約40分。宮城県七ケ浜町の菖蒲田(しょうぶた)浜を目の前に望む場所に、カフェレストラン「SEA SAW(シーソー)」はある。

 店はログハウスで、ワタリガニやノリといった地元産の食材にこだわった料理を出し、時には音楽イベントの会場にもなる。

 「海(SEA)の過去を見て(SAW)、今を見て(SEE)、これからも見ていく」

 そんな思いを込め、オーナーの久保田靖朗(やすあき)さん(40)が地域の人たちと一緒に店名をつけた。

 千葉県出身の元バンドマン。12年前は青年海外協力隊員として、日本から1万キロ以上離れたアフリカのモザンビークで、音楽教室の立ち上げに携わっていた。

 3月11日、職場で上司から「日本が大変なことになっている」と言われ、テレビを見ると、黒い波が田畑をのみ込んでいく映像が流れていた。「自分が何もしないなんてありえない」と思った。

 任期を終えた12年1月、すぐに帰国し、10日ほどかけて福島や宮城、岩手の被災地を回った。仙台市で企業の経営サポートをする有償ボランティアとしてしばらく活動したところで、疑問が沸いてきた。

「東北でやれること、もうないかも」

 「何千人の雇用を生んだこと…

この記事は有料記事です。残り1113文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment