「一から考える必要ある」 建築家が語るオリパラとコロナ後の街

 10月に始まるドバイ万博の日本館のデザインなどを手がけた建築家の永山祐子さん(45)は、東京の街づくりにとって、五輪・パラリンピックの翌年の2021年こそが重要になると考えてきた。今回の東京大会で都市や建築はどう変わったのか。あるいは、バリアフリーの視点はどう生かせるのか。2児の母親でもある永山さんに、話を聞いた。

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 五輪やパラリンピックがあれば、開催都市には何らかの変化があります。でも大事なのはむしろこうした巨大イベントが終わり、日常に戻った翌年以降です。そうした考えから2019年に建築展などからなるイベント「TOKYO2021」の企画アドバイザーを務めました。皮肉にも、大会の開催が2021年になってしまったのですが。

 1964年の五輪の時は、首都高速道路などの都市インフラが整備され、日本武道館丹下健三さん設計の国立代々木競技場が都心にできました。それに比べ今回は、国立競技場は建て替えられましたが、ほかの新施設はほとんど湾岸地区にできて、日常の暮らしに大きな影響を与えるものではなかったと思います。

 今回は結局、新型コロナウイルスの感染拡大ということで、仮想空間の存在が大きくなったと思います。ウェブ会議など仮想空間の使い方が進んだところで、五輪・パラリンピックが無観客で始まった。配信も充実し、テレビも含め競技をバーチャルで見ることになりましたが、それでも親しみを感じる。仕事や移動の途中に楽しんだ人もいると思います。

 テレワーク推進などの動きは以前からありましたが、コロナ下の状況が大きく後押ししたとも言えます。私は実は、JR高輪ゲートウェイ駅(港区)前のパブリックビューイング会場のデザインを手がけていました。工事は進んでいて、2020年に大会があれば完成していたはずなのですが、延期になったために、工事は途中で終わってしまいました。メインの場所も、基礎のコンクリートを打って、鉄骨まで用意していたんですけどね。本当なら競技の映像を楽しむための一つの場になっていたはずです。

 60年代の丹下さんたちは、これからの東京を造らなければならないという思いだったのでしょうが、私たちの世代は、もうできている都市をどう読み取り再生させるか、と考えます。最初にお話しした建築展でも、東京湾に浮かぶ1キロ四方の仮想の島を舞台に、議論やワークショップを重ねて、今の東京を批評し、これからの都市について考えました。

 五輪やパラリンピックはもともと、そんな風に都市について考えるきっかけになっていました。それが「2021展」の原動力にもなっていました。この展覧会の記録集のような本も、近く出版される予定です。

 私自身は、都市を俯瞰(ふか…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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