「不安と向き合え」 大杉漣の言葉、心に刻む写真家息子

 名脇役と言われた父親譲りの職人肌だ。写真家の大杉隼平(しゅんぺい)さん(38)=東京都=は、日常の一瞬を独特の感性で切り取る。いま撮影の舞台は、2018年に亡くなった父で俳優の漣(れん)さん(享年66)の故郷、徳島。昨年末から、季節の移ろいや暮らす人たちの営みを写真に収め、SNSで発信している。

 2月中旬、阿波踊り会場で知られる徳島市中心部の両国橋のたもとで、早咲きの桜に目がとまった。大杉さんはレンズを桜には向けない。水たまりに映る桜。木から舞い落ちる桜。その瞬間を活写した。「見逃してしまう日常の一瞬」。その視点が幻想的で鮮やかな作品に昇華させる。

 「花びらが落ちる瞬間を1時間ぐらい待って撮影しました。見逃してしまう瞬間のなかに、全然違う見え方がある」

 04年からロンドンで写真やアートを学び、帰国後は雑誌や広告など様々な撮影を手がけてきた。昨年は新進の写真家を応援する日仏のコンテスト「THE EDITORS PHOTO AWARD ZOOMS JAPAN 2020」の一般投票のグランプリに輝いた。徳島県から各地の魅力を発信するプロジェクトの依頼を受け、今年は毎月、徳島を訪れるつもりだ。

 父の漣さんが生まれ育った小松島市には、幼い頃からよく遊びに来ていた。父が徳島でライブをする機会にも撮影に訪れた。

 「半分、徳島の血が入っている。今では父の親友が僕の仲間になってくれています。『おかえり』と言ってくれるのがうれしい」

 そうした縁もあって、19年から2年続けて徳島市内で個展を開いている。

 漣さんは下積みを経て、北野武監督の映画出演で注目を集めた。すでに40代と遅咲きだった。「役者はずっと下積みが続く」と言っていたという。

 写真の撮影は現場に行くまで、常に不安がつきまとう。普段から「こうしろ、ああしろ」とは言わない父親だったが、そんな時には「もっと不安と向き合わないといけない」と声をかけてくれた。

 亡くなって3年。改めてその言葉をかみしめる。「尊敬できる人でした。そして大親友のような父でした」

 昨年12月、県のプロジェクトの一環で、つるぎ町の鍛冶(かじ)職人を撮影した。作業場で火をおこし、農具をハンマーでたたき、形を整えていく。「そのままの姿がいい」。住む人が普段見ている景色にヒントがあるという。撮影ポイントも地元の人の言葉に耳を傾ける。美馬市の潜水橋で「日が沈む時間がきれい」と聞けば、夕暮れまで待ち、シャッターを切った。

 「徳島の人はよく『何もない』と言うけれど、原風景が残っていて、懐かしさがある。今だからこそ、見たい人はたくさんいるのではないでしょうか」

 自分の作品が徳島に足を運ぶきっかけになればと願う。父の命日(2月21日)の1週間後、インスタグラムに投稿した写真に思いを添えた。

 「出会う方々のあたたかさに触れ、ここがいつか今よりもっと大切な所となる。もっと知りたい。そして伝えたい」(伊藤稔)


Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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