「亡くなった人が夢に出てくる」 泣きながら話した仲間と挑む防災

 阪神・淡路大震災の発生時は生後8カ月。記憶はもちろんない。

 「最後の世代として語り継げ」。神戸で生まれ育った久保力也さん(27)は、そんなことを言われるたびに、うんざりしていた。兵庫県立舞子高校環境防災科に進学したのも、国際交流ができると聞いたからだ。

 だが高校1年で、さっそく転機が訪れた。2011年の東日本大震災だ。

 学校のはからいで被災地に度々、ボランティアで入った。

 泥をかいてもかいても、まったく景色が変わらないがれきのまち。神戸に帰っても、避難所や仮設住宅で暮らす人たちの姿が思い出され、大学生になっても東北に通い続けた。

 不思議に思ったことがある。こちらがあえて震災のことを聞かないようにしていても、自ら語りだす人がよくいたことだ。

 「被災地では、みんな触れないようにしてるんです」。大学1年の時、そんな話を聞いた。なるほど、被災地では誰かを傷つけるかもと話せないことも、当事者でない自分には気兼ねなく話せるのかもしれない。

 語る場がないなら、作ってみようか。知り合った人たちに声をかけ、東北と関西の若者の交流会を開いてみた。サッカーや料理を通じて打ち解けたところで、被災体験を語ってもらう。数人ほどの小さなものも含め、毎月開催した。

震災後に創設され、今春で20年になる兵庫県立舞子高校環境防災科(かんぼう)で学んだ若い世代は、震災について何を学び、何を思うのか。その姿を描きます。

本当の意味で助かったと言えるのか

 そんな交流会で、忘れられないことがある。

 宮城県の沿岸で被災した女子…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment