「健常者が嫌いなんですか?」…聴覚障害者が考える「分断」の正体 無理解を乗り越える鍵は「語る力」(withnews)

「くらげさんは健常者が嫌いなんですか?」

「くらげさんは、健常者が嫌いなんですかね?」ととある人に聞かれたことがある。数年前のことだ。「どうしてそう思うんですか?」と聞き返したら、「くらげさんは『障害者』と『健常者』に分けて話すことが多いじゃないですか。しかも、そういうときは『健常者』は敵で加害を及ぼす存在として話しますよね」と説明された。その時、かつての私は「なるほど、私は健常者が嫌いなのか」とさらっと腹落ちした。そういうことを「どうしてこんなからだなの? 叫びたいのは前向きな言葉だけじゃない」というwithnewsの記事を読んで思い出した。 この記事には、こんなことが書かれていた。 【「障がいは個性だ」「このからだに生まれたのには理由がある」「失くしたものより残されたものを活かそう」まわりにあふれるそれっぽい言葉なんて、ごみ箱に捨てて。とにかく泣き叫び、怒りをぶちまけて。迷惑とか恰好なんて考えなくていいから。――「どうしてこんなからだなの? 叫びたいのは前向きな言葉だけじゃない」】 この記述を読み、「私も健常者から発せられるそれっぽい言葉が大嫌いだったな」ということを感じたからだ。 申し遅れたが、私は「くらげ」というペンネームで創作活動をしている先天性の聴覚障害と、ADHDのある障害者だ。 私の幼少期のことから、話を始めようと思う。

「異質なもの」として排除された子ども時代

子どもの世界はときに残酷で「異質なもの」を恐ろしいほど冷酷に排除しようとすることがある。 私もその排除の理論の中で激しくいじめられた。特に辛かったと覚えているのは「くらげに触られると耳が悪いバイキンが移るぞ!」と囃し立てられることだ。 その頃の「友だち」は本だけだったし、おかげで成績はそれほど悪くなかった。そして、同級生の名前も先生の名前も、そしてどんな声を聞いたかもほとんど覚えていない。ただただひたすら、「辛かった」「悔しかった」という思いだけが胸の奥に重いしこりとして横たわっている。 中学1年までは半ば不登校になりつつ普通学校に在籍していたけど、中学2年のときに色々と耐えかねて聾学校に「転校」という名の「逃避」をして、聴覚障害者の世界に逃げ込んだ。 それから10年間、就職して社会に出るまで「聴覚障害者の世界」で過ごしていた。この10年間は、今から思えば伸び伸びと青春ができていて、友達もできれば、初恋もした。部活に精を出したこともあれば、勉強の成績がふるわず怒られたりもした。 その世界で主に使われた言葉は手話であったし(その相手は聴覚障害者か、もしくは聾学校の先生という限られた世界であったのだけども)、「聴覚障害者の世界」は間違いなく、私の「あるべきところ」であったという思い出が残っている。 この世界でいじめや差別がなかったわけではないのだけど、少なくとも「手話」というものを通して「平等」に話すことができた。それに、私のことを「病原体」とみなす人はいなかった。それだけで幸せだった。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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