「原爆のフィルムは燃やせ」 カメラマンは縁の下にネガを隠した

【プロローグ】A Scene「あの少年は父です」ー被爆78年後の真実ー(本編は記事の末尾に)

 1976年8月の朝日新聞社内報に、こんな記述がある。

 「長い写真記者生活のうち、これほど激烈な事件に出会ったことはない。この広島だけは、今もって私の眼底に焼きついたままである」

 「火傷(やけど)の手当てを受ける少年」の写真を撮影したのは、朝日新聞写真記者の宮武甫(はじめ)さんだった。当時30歳。原爆投下から4日後の1945年8月10日、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)で撮った10枚のうちの1枚だった。

 「対敵宣伝」に役立つ写真撮影を狙って大阪で編成された陸軍の宣伝工作隊の一員として前日の9日に広島に入り、壊滅的な被害を受けた街の様子を記録していた。限られたフィルムで撮影したのは119カットだった。

 少年の写真を含む宮武さん撮影の4枚は、9月4日付の朝日新聞朝刊(大阪本社発行)に掲載された。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領下のプレスコード(報道規制)で広島の被爆者の実態を報じるのが難しくなる直前で、貴重な報道となった。

 その後GHQから「原爆関係…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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