「若い人を救え」わずかな点滴、母は空襲を生き抜いた

 10万人ともいわれる市民が殺戮(さつりく)された、1945年3月10日未明の東京大空襲。最悪の犠牲者が出たのが、言問(こととい)橋だと言われる。

 強風にあおられ火の海となった下町。人々は火に追い立てられて隅田川に殺到した。言問橋では台東区・浅草と、対岸の墨田区・向島から、ともに火を逃れてきた人と荷物で身動きが取れなくなった。そこに、火災による竜巻「火災旋風」が発生。言問橋は、地獄と化した。

 橋の上では焼死。極寒の隅田川に飛び込めば水死。熱風で気道をやられて窒息死する人もいた。翌朝、川と橋の上は、死体で埋め尽くされた。

 一昨年2月に89歳で亡くなった佐久間美代子さんは、数少ない言問橋の生存者だった。長女の土方みゆきさん(64)が、こんな母の話を語ってくれた――。

目の前で燃える人々

 あの夜、美代子さんは爆撃音で跳び起きた。

 祖母、母、姉、幼い弟2人の6…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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