「貧しさの象徴」だったかやぶき屋根 三多気の桜とともに歩む古民家

 「子どもの頃の私には、かやぶき屋根は貧しさの象徴でした」

 JR津駅から車で約1時間。津市の最西端で奈良県境の山あいにある国の名勝「三多気(みたけ)の桜」(美杉町)。国道368号(旧伊勢本街道)から真言宗「真福院」の山門までの約1・5キロの参道に植えられた約500本のヤマザクラの並木坂が今年も見頃を迎えた。

 その道沿いに、田中稔さん(67)が生まれ育った、かやぶき屋根の古民家が今も残る。「田中家住宅主屋」として国登録有形文化財になっている。

 小学校の春の遠足は、決まって「三多気の桜」。毎年、同級生とともに自宅前を歩いた。当時、隣近所は瓦屋根。かやぶきで家の中に牛がいる我が家を、同級生に見られるのが恥ずかしくて嫌だった。

 「三多気の桜」は、平安時代中期(900年ごろ)に、理源(りげん)大師が参道に桜を植えたことが起源とされる。その後、南北朝時代に伊勢の国司となった北畠氏が真福院を祈願所にして、館からの道沿いに桜を植えて広がっていったといわれ、江戸時代以前から桜の名所として古文書にも登場する。

 千年以上の歴史がある桜並木の魅力に気付いたのは、進学で故郷を離れ、大学卒業後に地元の旧美杉村役場(現津市役所)に就職してから。「日本のさくら名所100選」や「美しい日本のむら景観コンテスト」受賞村に選ばれ、雑誌やテレビに取り上げられて注目を集め、全国に知られる存在になっていた。

 その評価の対象の中にかやぶき屋根の自宅も含まれていた。「三多気の桜に似合うなぁ」「懐かしい屋根や、ホッとする」「この風景を残してほしい」。訪れた人たちからの感想を耳にするうち、貧しさの象徴だった屋根が、次第に誇りへと変わっていった。「この風景を守っていこう」と心に決めた。

 名勝「三多気の桜」景観保全…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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