「郵便です」配達直後に襲った熱線 「赤い背中」の少年が残した言葉

 あの日、自転車で郵便配達をしていた16歳の少年は1軒の住宅にはがきを届け、次の配達先に向かおうとしていた。1945年8月9日11時2分。その瞬間、強烈な熱線に背中を焼かれた。「殺してくれ!」。そう叫ぶほどの苦しみの始まりだった――。

 8月9日の長崎平和祈念式典で長崎市長が読み上げた平和宣言では、被爆者の故・谷口稜曄(すみてる)さん(2017年に88歳で死去)の言葉が引用された。記者は谷口さんの晩年、米国やマレーシアなどで核兵器廃絶を訴える姿を取材し、16年から17年にかけては被爆体験やその前後の人生の歩みを聞かせてもらった。谷口さんが残した証言は、いまも核兵器の非人道性を伝える。

 谷口さんは国民学校高等科(現在の中学1、2年)卒業後、長崎市の中心部にある郵便局で働いており、配達中に被爆した。「郵便です」。そう言ってはがきを届けると、突如、背後から熱線と爆風が襲った。

 《全部覚えていますよ。あっ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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