【毎日更新】警報発令、大急ぎで外へ出たが 1945年の今日、広島

 学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。

 広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。

 1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。

■■■1945年7月23日(月)■■■

広島第一高等女学校1年の熊本悦子さん(13)。組変えで友達が入れ替わる慌ただしいさなかの警報に――。

 熱があるので休み。

 今日、学校へ行きたかったが、熱があるので行かれなかった。

 今日は組かえだ。1校時、講堂に集合し、E先生の指揮でF学級6組。私と親友のGさんと離れたことは、私にとって不幸の導きであると思うほど悲しかったが、しかたがない。組がかわるだけだから、まだ見られるのが幸いである。教室に入ってGさんたちとお別れをし、新しい人を迎える式をする予定だったが、出席を取っておられるとけいほうが出たので、大急ぎで出席を取って外に出たが、大丈夫なので授業をした。

 3校時からお昼まで実業なので、頭が痛くなりそうだった。頭から日が照りつけるので、汗だくだくだった。草ぬきをくわやスコップでやった。午後は自習だった。

 今日つくづく医専に入った幸運を感じた。

この日の広島・長崎は

 広島 最高気温28.7度…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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