【詳報】「世界中が仲良く過ごせたら」 灯籠に願い込めて万灯流し

 9日、長崎は被爆77年の「原爆の日」を迎えます。ロシアのプーチン大統領核兵器の使用をちらつかせるなかで営まれる平和祈念式典や関連の催しなど、祈りの日を迎える長崎の動きを詳報します。

■■■8月9日■■■

19:30

爆心地近くの川で「万灯流し」

 爆心地近くの浦上川沿いで、慰霊行事「万灯流し」があった。原爆の犠牲者らを追悼するため、平和の祈りを込めた灯籠(とうろう)約550個が川べりに並んだ。

 灯籠に「みんなともだち」のメッセージを書いた西田晴花さん(7)は「世界中の人たちが仲良く過ごせたらいい」。父の和晃さん(40)は「親子で平和を考えるいい機会。ぜひ続いてほしい」と話した。

 灯籠は例年、川に浮かべてきたが、コロナ禍で2020年は中止に。昨年からは川に流さず、川べりに並べている。

16:00

式典初参加の姉妹 父に捧げる思い

 「名簿の前で手を合わせたら、『お父さん』ってなっちゃって。2人で泣いて、しばらく動けませんでした」。昨年9月に被爆者だった父を亡くした長崎市の藩美鈴さんと大阪府の古堅千春さん姉妹は、初めて平和祈念式典に参加した。

 2人は爆心地公園の近くで育った。父は平和活動に熱心で、82歳で亡くなる前まで鶴を折っていた。そんな父の影響で、藩さんは今でも毎月9日に祈念を捧げるが「父が被爆者という意識は無かった」と話す。だが、式典で原爆死没者名簿が奉安されたとき、父が「『原爆で亡くなった方』になるんだ」と実感したという。「今日やっと事実が合致したというか、完結した気がします。参加して本当によかったです」

15:50

被爆者を運んだ列車のモニュメント除幕式

 JR道ノ尾駅で、被爆者を医療施設へ搬送した「原爆救援列車」のモニュメント除幕式があった。原爆救援列車は、原爆投下直後に列車を蒸気機関車で動かし爆心地付近まで乗り入れ、被爆者を搬送した。町によると、当時道ノ尾駅前には臨時救護所が設けられ、重症者を降ろすか、医療機関に搬送するかを判断する本拠とされたという。

 今回駅舎前に設置されたのは機関車の動輪部分。除幕式には長与町長や長崎原爆資料館長らが出席。吉田慎一町長は「原爆を知らない世代に遺構を見てもらい、後世に伝えていきたい」と話した。モニュメントは出発地であるJR長与駅と、列車の折り返し付近である長崎市西町にも設置されている。

13:30

岸田首相、被爆体験者の救済に言及

 岸田文雄首相が長崎市内で記者会見を開いた。

 記者団は、「黒い雨」をめぐる広島高裁判決を受けて被爆者の認定基準が新たに設定されたが、基準に入らなかった長崎の「被爆体験者」への救済と、被爆体験者が、広島と平等な適用を訴えていることへの考え方をたずねた。

 これに対し、岸田首相は過去の裁判例との整合性や客観的な資料などを整理する必要があるとした上で、「被爆体験者の皆様の高齢化が進む中、現在の被爆体験者事業にがんの一部を追加することを至急検討したい」と答えた。来年の4月より医療費支給を開始できるよう、対象について速やかに厚生労働省に検討させる意向を示した。

12:30

被爆者団体代表らと首相が面会

 被爆者代表の要望を岸田文雄首相らが聞く会が長崎市内であった。最重要課題として、長崎の「被爆体験者」も昨年7月の広島高裁「黒い雨」判決確定で被爆者と認められた人たちと同様に被爆者と認めるよう要望。被爆2世、3世にも被爆者援護法を適用し、原爆症認定のあり方を抜本的に改善するよう求めた。

 長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(82)や長崎県被爆者手帳友の会の朝長万左男会長(79)らが出席。岸田首相に要望書を提出した。後藤茂之厚生労働相は「引き続き長崎県、市の意見を聞きながら議論していきたい」と述べた。

12:00

「平和伝えたい」司会の高校生、式典を振り返る

 平和祈念式典で司会を務めた海星高校3年の今道和奏さん(18)と山下咲子さん(18)。「緊張したけど、うまくできてホッとしています」。式典終了後、今道さんはこう振り返ってはにかんだ。

 同校が、式典での司会の依頼を受けたのは今年春。2人はすぐに立候補した。「平和について深く考えてこなかったから」と山下さん。被爆した祖父の体験談を、父を通じて初めて聞いた。「戦争は町だけじゃなくて人も壊すと感じた。これからもできることで平和を伝えていきたい」

11:40

岸田首相挨拶 約8割が広島の平和記念式典と同じ

 平和祈念式典での岸田文雄首相のあいさつでは、「核兵器のない世界」というキーワードが6回登場した。「我が国は、いかに細く、険しく、難しかろうとも、『核兵器のない世界』への道のりを歩んでまいります」とし、非核三原則の堅持などに言及した。

 約1100字あまりのうち、約8割が広島で平和記念式典でのあいさつと同じだった。「被爆地広島出身の総理大臣としての私の誓い」という表現は「総理大臣としての私の誓い」に変わった。

 8段落のうち、7段落は広島とほぼ同じ内容だった。違ったのは、来年のG7サミットの広島開催に言及した段落が長崎のあいさつにはなかったこと。長崎のあいさつでは核兵器不拡散条約(NPT)への出席に関連し、「厳しい安全保障環境の中にあっても、核不使用の歴史を継続し、長崎を最後の被爆地とし続けなければなりません。透明性の確保、核兵器削減の継続、核不拡散も変わらず重要な取り組みです」という段落が加わった。

11:30

 平和祈念式典で、岸田文雄首相は「77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務」と述べた。

 現在、米・ニューヨークで開かれている核不拡散条約(NPT)再検討会議に、日本の首相として初めて参加したことにも触れ、「長崎を最後の被爆地とし続けなければならない」と訴えた。広島の平和記念式典と同様、核兵器禁止条約には触れなかった。

11:10

被爆者「ウクライナ空襲警報は、ピカドンの恐怖そのもの」

 5歳のときに被爆した宮田隆さん(82)が、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた。「ウクライナに鳴り響く空襲警報のサイレンは、あのピカドンの恐怖そのものだった」と、自身の77年前の被爆体験と現在のウクライナ侵攻を重ねながら、核廃絶を訴えた。

 また、核兵器を全面的に禁止する核兵器禁止条約を「被爆者と人類の宝」と表現。「条約を守り、行動することは唯一の被爆国である日本政府と国民一人ひとりの責務」と呼びかけた。

11:10

長崎市長「核兵器使われないは『幻想』」

 長崎市の田上富久市長が平和宣言を読み上げた。ウクライナに侵攻したロシアが「核の脅し」をしていることを念頭に、「核兵器の使用は『杞憂(きゆう)』ではなく『今ここにある危機』である」と懸念を示した。その上で、「核兵器を持っていても使われないだろうというのは幻想。核兵器をなくすことが、未来を守るための唯一の現実的な道だ」と訴えた。

 また、2021年1月に発効した、核兵器を全面的に禁止する核兵器禁止条約への署名・批准を日本政府に迫った。

11:02

長崎市民が街中で黙禱

 長崎市中心部の鉄橋では、原爆投下時刻の午前11時2分に合わせ、市民らが立ち止まって黙禱(もくとう)を捧げた。

 藤井継美さん(36)は、広島に原爆が投下された8月6日が誕生日。生後3カ月の長男を抱え、静かに手を合わせた。満州に出征経験がある祖父から戦争の体験を聞いて育ち、昨年5月、夫の転勤に伴って長崎に引っ越してきた。「平和や戦争に何か縁があるのかなと思って。子どもを抱っこして普通に生活できるのが幸せ」

11:02

海星高の野球部員らが黙禱

 夏の甲子園で初戦を突破した海星高の野球部員らは、滞在している大阪府堺市内のホテルの食事会場に集まり、長崎の方角を向いて黙禱(もくとう)した。

11:02

原爆投下時刻に参列者ら黙禱

 長崎市の平和公園で行われている平和祈念式典で、原爆投下時刻の午前11時2分に合わせて「長崎の鐘」が鳴り響いた。参列者らが1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。

11:00

長崎大で原爆犠牲者の慰霊祭

 長崎大の原爆犠牲者慰霊祭が医学部記念講堂(長崎市坂本1丁目)で開かれた。前村浩二・長崎大医学部長は冒頭、「長崎に原子爆弾が投下されてから77年目の夏を迎えた。(爆心地から約600メートルにあった医学部の前身の)長崎医科大学は壊滅状態となり、夏休みを返上して講義や実習に参加していた学生、教職員898名が一瞬のうちに原子爆弾の犠牲になった」と話した。

 慰霊祭には、ロシアによる侵攻を受けて日本に避難しているウクライナの学生ら8人を含めて約40人が参加。全員で黙禱(もくとう)を捧げた後、献花した。

11:00

被爆者や岸田首相が献花

 長崎市の平和祈念式典で、献花が始まった。被爆者を代表して森重子さん(86)、遺族を代表して奥村英二さん(83)が、平和祈念像前の献花台に花輪を捧げた。

 岸田文雄首相、広島市民代表、駐日外国公館代表らが続く。参列者を代表して小中学生も犠牲者に白い菊を手向けた。

10:50

被爆者の歌う会 高齢化で「最後の式典」

 被爆者だけでつくる「被爆者歌う会 ひまわり」が3年ぶりに平和祈念式典に参加し、歌声を響かせた。歌ったのは、「もう二度と」。「わたしたちのような被爆者を、もう二度とつくらないで」という思いを歌に託した。

 2004年に発足し、2010年から式典に参加してきた。会員の高齢化などから、今年を「最後の式典」と決めていた。

10:30

被爆者を描いた映画の主演俳優が参列

 長崎の被爆者で、2017年に88歳で亡くなるまで核兵器廃絶を訴え続けた谷口稜曄(すみてる)さんと、英国人作家ピーター・タウンゼントさん(1914~95)の交流を追った映画「長崎の郵便配達」で、川瀬美香監督と主人公を務めた、イザベル・タウンゼントさん(61)が平和祈念式典に参列した。

 川瀬監督は式典後、取材に「核は全員が関わらなきゃいけない問題だと思っている」と話した。

09:50

原爆資料館でハンドベル演奏

 長崎原爆資料館ホールに、活水中学・高校によるハンドベルの演奏が響いた。同ホールは、炎天下の式典会場のほかに、高齢の遺族や被爆者の健康に配慮して用意された屋内会場の一つ。定員50%を上限とした170席が用意された。

 ハンドベルは式典の中継が始まる前のイベント。演奏後に、被爆体験を語り継ぐ朗読を聞くうちに参加者は式典に向けて厳かな追悼の気持ちになっていく。ハンドベル部の宅島朱夏部長(17)は「平和の気持ちをハンドベルの音色で届けられたらいいなと思います」。

■式典会場は警備態勢強化[0…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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