あの日の記憶、伝え続ける 脱線事故の沿線を歩くメモリアルウォーク

大下美倫

 乗客ら107人が亡くなったJR宝塚線福知山線)の脱線事故から25日で18年を迎えるのを前に、被害者を思い、事故の記憶を伝え続けたいと、負傷者や家族らが兵庫県尼崎市の事故現場付近の沿線を歩く「メモリアルウォーク」が16日にあった。

 この日、集まったのは一般の参加者を含む約30人で、初参加の人も10人ほどいた。午後1時半にJR塚口駅近くの公園を出発し、尼崎駅に向け、事故車両の道のりをたどるように約2キロを歩いた。

 地元の萩本啓文さん(69)が犠牲者を追悼するために作っているダイコンの花文字「生」を線路越しに見学。事故現場に整備された追悼施設「祈りの杜(もり)」にも立ち寄り、白いカーネーションをたむけて祈りを捧げた。

 イベントは「負傷者と家族等の会」(空色の会)が主催し、2010年から続けている。以前は「電車を見るのもつらい人もいる」と線路の見えないルートを選んでいたが、2年前からは沿線を歩くようになった。

 この日参加した60代の女性は娘が事故で負傷し、何度もメモリアルウォークを歩いてきた。「JRも世代交代し、世間でも事故のことが風化する中で、この時期だけでも思い出してもらえたら」

 会の中島正人さん(59)は「私たちの願いは、あの日を決して繰り返さない、安全な社会を実現することです」と話した。(大下美倫)

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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