なすびが教える巣ごもり極意「心にゆとりを」…「電波少年」で1年3か月耐えた達人が呼びかけ(スポーツ報知)

 新型コロナウイルスの感染防止のため東京都が提唱した「ステイホーム週間」が25日、スタートした。長期の外出自粛を強いられる中、スポーツ報知では、日本テレビ系のかつての人気番組「進ぬ!電波少年」で、部屋にこもり懸賞品だけで生活する企画に挑戦したタレントのなすび(44)に電話取材。1年3か月もの間、外出できない生活を送った“巣ごもりのプロ”に「ステイホーム」の極意を聞いた。(高柳 哲人)

 「一年三ヶ月とは言いません。願わくは一ヶ月、でも流石(さすが)に一般的に一ヶ月も無理としても、一週間や十日位、試しに家に閉じ籠もってみませんか? 私が出来たんだから、貴方(あなた)にだって出来ます!」。緊急事態宣言が全国に拡大された16日、なすびがツイッターで発信した言葉は多くの人の心に響いた。

 「身に纏(まと)う物が座布団一枚だった時と比べれば何の不自由を感じるというのでしょう! 紙パックや空き缶で米を炊く必要が無いなんて何と恵まれているのでしょう!」(17日)。“巣ごもりのプロ”のメッセージには重みがあった。

 フォロワー数は倍増し、「いいね!」の数は11万を突破した。仕事で故郷の福島にいた時に東京に宣言が出され、そのまま実家で生活しているというなすびは「反応には戸惑いの方が大きかったですね。でも、共感してもらえたのが分かりましたし、『自分もやってみる』というような前向きなコメントが多かったのがうれしかった。他の人よりも、僕が言う方が、少しだけかもしれないけれど、説得力が増すかもしれないですから」と話した。

 ツイッターで積極的に呼び掛けるのは、生前かわいがってもらった志村けんさんの死が大きいという。「自分にとってはスーパーヒーロー、神様のような存在。『バカ殿』や志村さんの深夜番組にもレギュラー出演させていただいた。その神様でも命を落としてしまう。自分ができることは何かと考えた時に、思い出したのが懸賞生活でした」

 自粛疲れや人と会えないことでストレスを抱えているという声をニュースやSNSでよく目にする。なすび自身も、当時最もつらかったことは孤独との闘いだった。「でも、今はパソコンやスマホを使って、周りの人とつながれる。それは大きいと思うんですよ。僕は『ひとりロックダウン状態』でしたから。不要不急の外出は控えるのはもちろんですが、自宅からの“脱出”ができないわけではない。発想の転換で『(外に)出ないといけない時は出られるんだ』という心のゆとりを持つことが大切だと思うんです」

 懸賞に応募するのも、巣ごもり中の時間の使い方の一つになりそうだが、「僕は遠慮します。トラウマになっていて、ハガキも見たくないくらいですから。でも、皆さんが楽しんでやるのであれば、いいのではないでしょうか」と苦笑い。今後も発信し続けることで「100人のうち1人でもいい。『出掛けるのをやめようかな』と思ってもらえれば」と願っていた。

 ◆「電波少年的懸賞生活」 1998~99年に放送された人気コーナー。ハガキと懸賞雑誌だけを手渡されたなすびが、100万円分当選するまでワンルームの部屋の中で生活。全裸にちゃぶ台、座布団1枚からスタートし、約1年後に目標を達成して脱出した。続編として、約3か月の韓国編が放送された。

 ◆なすび 本名・浜津智明。1975年8月3日、福島市生まれ。44歳。芸名の由来は、顔が長いことから。1998年、日本テレビ系「進ぬ!電波少年」の「電波少年的懸賞生活」で注目される。その後は俳優として舞台、テレビなどに出演。2013年、東日本大震災で被災した故郷の復興を願ってエベレスト登山を計画。4度目の挑戦となった16年5月に登頂成功。現在は福島放送「福島まるごとライブ ヨジデス」月曜レギュラーを務める。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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