よみがえる戦場の光景、それはPTSDだった 苦痛今も

 戦時中の空襲や沖縄戦で多くの民間人が命を落とし、傷を負いました。身体障がいや精神の疾患が残った人、肉親を失った人も少なくありませんが、国は75年たった今も法的な救済をしていません。怒り、悲しみ、失望――。当事者の思いを4回にわたって報告します。

沖縄戦で家族を亡くした金城真徳さん(82)

 その光景が突然、体全体からわき上がってくるようになったのは、中学生のころからだ。

 戦車か火炎放射器で、山全体が焼き尽くされた戦場。焼け焦げた遺体がいくつも見える。兵隊も民間人も区別はない。その脇を必死で歩いているのは、6歳の自分だ。頭に砲弾の破片が当たった。痛みで目の玉が飛び出そうだった。猛烈な吐き気がした。母に手を引かれ、やっと前へ進んだ……。

 那覇市の金城真徳さん(82)は、沖縄戦で家族7人を失った。75年前のその光景が、月に1度は脳裏によみがえる。眠っているときも、仕事中でも。何がきっかけになっているのか、自分でもわからない。

拡大する沖縄戦訴訟の書類を広げて話す金城真徳さん=那覇市

 「何も手につかなくなって、我慢して時が過ぎるのを待つだけです」

 沖縄戦も末期。日本兵に何度も壕(ごう)を追い出され、家族で戦場をさまよった。でもその指示を受け、兄と一緒にサトウキビやイモを集めて届け、弾薬運びも手伝った。その直後、雨のように艦砲射撃の砲弾が落ち、頭にけがをした。兄、姉、妹、弟たちが次々に殺されていった。

 後から思えば、そのころ、米軍…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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