ドキュメント「原爆の日」 被爆75年、鎮魂そして祈り…(中国新聞デジタル)

 広島は6日、米国による原爆投下で街が壊滅してから75年となる「原爆の日」を迎えた。新型コロナウイルスの感染が再拡大する中、広島市が午前8時から原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)を営む中区の平和記念公園の周辺は、未明に人が少ないなど例年とは様相を大きく異にしている。中国新聞の記者が一帯を夜通し歩き、非人道的な兵器による犠牲者を追悼する節目の1日を追った。

 0・00 「生きて行く 草木も生えぬヒロシマに カンナが咲いた 私は生きる」。原爆ドームのそばで、中区の派遣社員中岡忠司さん(42)が俳句を詠んだ。被爆者だった祖母を2013年に亡くしてから毎年ここで俳句を詠み、遺族として平和記念式典に参列してきた。ことしは新型コロナの影響で参列できないため、テレビで見届けるという。「被爆75年という大切な節目の式典が縮小され、残念でならない。コロナのせいで記憶の風化が加速するのではないかと心配だ」と話した。  0・10 中区の自営業浅野むつみさん(58)は、マスク姿で原爆慰霊碑に手を合わせた。人けのまばらな平和記念公園を見渡し、「この時間帯に、こんなに人が少ないのは初めて」。新型コロナの感染防止のため、市は平和記念式典への来場自粛を呼び掛けている。「あまりにも人がいなかったので、今年はこの時間でも一般の来場者が入れないのかと思った」

 0・15 親族10人の先頭で、中区の理容師湊川妙子さん(77)が原爆慰霊碑に手を合わせた。親類に被爆者はいないが、3世代で毎年訪れている。「広島に暮らす者として欠かせないこと。子どもたちも同じ思いで一緒に来てくれている」と目を細める。来年はひ孫も含めた4世代で足を運ぶ計画で「ひ孫の代になっても平和な世の中であってほしい」と願った。  0・40 安佐南区のフォトグラファー原野憂己さん(39)が、原爆の子の像や折り鶴を撮影していた。原爆の日を迎えた広島の市街地を24時間撮影し、記録する。「8・6がどんな日なのか、世界の人に知ってもらいたい。新型コロナ禍の中での式典は二度とないかもしれない」と語った。  1・00 呉市の今村隆由さん(76)が元安川の近くのベンチに座り、原爆ドームを見つめた。1歳の時に警察管だった父英幸さん(当時33歳)を原爆で亡くした。父の遺体は見つからず、残っていた髪の毛と爪だけを墓に入れたという。戦後は食糧難に苦しみ、中学時代からアルバイトをして家計を支えた。毎年父の墓参りをして平和記念公園を訪れる。「戦争は弱者ほど苦しめる。戦争は絶対やってはいけない」と力を込めた。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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