不便だけど、不幸ではない つんく♂さんは言葉をつむぐ



 大阪城近くの路上が原点だ。1990年代の初め。ストリートライブでマイクを握るロックバンド「シャ乱Q」のボーカル、つんく♂(51)の心は決まっていた。

 日本一になる。

 東大阪市出身の近大生は「大阪人の代表として、東京も認める男になるんや」と上京。92年にメジャーデビューした。当初はヒットに恵まれなかったが、「この曲がダメなら僕の才能もここまで」と作った「シングルベッド」で人気に火がついた。

 「ズルい女」「My babe 君が眠るまで」がミリオンセラー。プロデュースした「モーニング娘。」も99年に「LOVEマシーン」が大ヒット。国民的人気グループとなった。

 本当に日本一になった。

 自分は運を持っている。崖から落ちるすれすれの道を歩いたとしても、きっと落ちない。どこかでそう思っていた。

喉頭がん、まさか自分が

声を失ったつんく♂さんが、向かった場所とは。そして、若き日のもう一つの夢とは。

 45歳で喉頭(こうとう)がん…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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