中国・天津で迎えた終戦 沖縄には行けず 語り継ぐ戦争

【動画】天津で終戦を迎えた渡久地政司さん

 両親は沖縄出身で、大阪に働きに出て1938(昭和13)年、いまの愛知県豊田市に来た。トヨタ自動車が創業し、めっき工場の職人だった父にも声がかかった。僕は1歳だった。

 その後、父は中国・天津に派遣され、家族もついていった。トラック工場だ。車体は日本で造り、現地で組み立てて軍に納入した。現場は中国人が働き、父には約50人、部下がいた。

 昼の弁当を届けるのが僕の役目。父はストーブの前で工場長や軍刀を持った将校と、何か煮て食べながら話していた。飲んでいたかもしれん。「おやじは偉い」と思った。

 父は子どものとき、手をヘビ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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