人に上下をつけないアイヌの教え 自然に学ぶ大切さ 宇梶静江さん

 社会に存在するさまざまな「境界」の今を探り、問題解決には何が必要か、望ましい境界の未来を模索する連載企画「ボーダー2.0」。今回は、詩人でアイヌ文化伝承者の宇梶静江さんに、人に上下をつけない社会のあり方や、災禍があれば自分たちの行いを改める機会だととらえるアイヌ民族の考え方について語ってもらいました。

 65年前に札幌から上京し、東京を拠点に暮らしていました。向こうで骨をうずめるつもりでいましたが、昨年11月に北海道白老町に引っ越しました。88歳になり、やっぱり私はアイヌなので、色々な活動に関わっているうちに「せっかく長生きしたんだから、皆さんが仲良くしていくのを見届けて死にたい」という思いになりました。

 空き家を借り、敷地内の倉庫を改修して、アイヌの人々が集える場所をつくる予定です。ここを拠点に、アイヌ民族がこれからどう生きていくかを語り合う「アイヌ学」を立ち上げたい。初めて会う人も訪ねてくるようになり、同胞の期待を感じています。

 アイヌ民族の人権をめぐってもたくさんの会があり、さまざまな考え方があります。首都圏では民族として主張するのが難しかった。アイヌが一つになって何をするのか、どうやって生活をしていき、自分たちの人権を確立するのか。周りは「北海道には昔アイヌがいた」という程度の認識で、訴える力は弱かった。

 北海道では、大地に足をつけて生きていくための訴えをしていける。河川の一本でもアイヌ民族に返してもらい、自分たちのためにサケを捕るというふうに。植物採集やその食べ方といった文化の継承も、関東では個々が家々に分かれて暮らしているので不可能でした。これから立ち上げる「アイヌ学」では、考え方の違いや何かの問題への賛否に関係なく、語り合って手をつないでいきたい。

和人との間にあった「境界」

 かつてはアイヌ民族と和人との間に厳然とした「境界」がありました。

 人種差別はどこの国でもあると思います。アイヌ民族が目立たない本州では、アイヌだからといって特別苦労することはありませんでした。けれども、北海道でのすさまじい差別が忘れられなかった。同じ村で育ったのに村の外で会うとまるっきり無視される。市町村単位で仕事があっても、和人が仕事を取ってしまい、アイヌが仕事をしたくても出る幕がない。そういう圧力がありました。

 150年以上にわたり、アイ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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