今なら全国指名手配? 徳川慶喜追討令の高札見つかる

 慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いで敗れた徳川慶喜の追討を命じる高札が、岐阜県瑞浪市で見つかった。戦いの数日後に中山道の大湫(おおくて)宿に掲げられたとみられ、高札を見つけた学芸員は「全国指名手配のような感じで新政府側の正当性をPRする狙いがあったのではないか」と話す。慶喜追討の高札は国内で数点見つかっているが、掲示場所がわかるものは珍しいという。

 高札は木製で縦49センチ、横188センチ。瑞浪市内の郷土史家の遺族が5年以上前に同市陶磁資料館に寄贈した。企画展示のため、収蔵資料を整理していた学芸員が見つけた。同館によると、大湫宿を支配下に収めていた尾張藩が宿場の高札場に掲げたとみられる。

 徳川慶喜は慶応3(1867)年に大政奉還した。翌年1月3日、鳥羽伏見の戦いが勃発。旧幕府軍は敗れ、慶喜は6日に江戸に逃れ、7日に追討令が出された。

 同様の高札を所蔵する名古屋…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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