仙台育英が越えた「白河の関」、その歴史は 令和の時代に突然脚光

 第104回全国高校野球選手権大会で、仙台育英(宮城)が優勝し、深紅の大優勝旗が初めて東北にもたらされました。その偉業は「白河の関を越えた」と言われますが、令和の時代に注目される「白河の関」とは、何なのでしょうか。その歴史は奈良時代にさかのぼります。(2018年6月に朝日新聞紙面に掲載した記事「東北細見 白河関跡」を一部修正して再掲します)

 東北地方という呼称は戊辰戦争の当時、新政府によって用いられるようになったのが始まり――。東北学院大の岩本由輝名誉教授は、そう指摘する。それより前、今の東北6県は陸奥(みちのく)と出羽、あるいは両地域を合わせて奥羽と呼ばれていた。

 平安時代、陸奥の名所の数々が歌に詠まれた。都から遠く離れた異境の地は貴人たちの想像力をかき立て、憧れを誘ったらしい。中でも、陸奥との関門である白河関は、歌枕として多くの歌に登場する。

 陸奥とは「白河関の向こう側…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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