伝統守るあんぽ柿、地元の米でクラフトサケ 再生を歩む福島の生産者

 2011年の東京電力福島第一原発事故による放射能汚染で、福島県の農林水産業は深刻な打撃を受けた。12年が経ち変化の兆しがある一方、生産現場には様々な形で事故の傷痕が残る。福島で食べ物を生み出す人の声を聞いた。

 朱色の果肉、トロリとやわらかい食感。あんぽ柿は冬の福島県を代表する産物だ。柿の皮をむき、硫黄で燻蒸(くんじょう)してから干すことで、鮮明な色と独特の味わいが生まれる。

 「この味を守っていくには、生産量を減らさないことが大事」と伊達市の生産者、佐藤誠さん(69)は言う。JAふくしま未来伊達地区あんぽ柿生産部会の副部会長を務める。

 この地域はあんぽ柿の発祥の地とされ、2010年度までは干し柿全体のシェアでも全国有数を誇っていた。

 東京電力福島第一原発事故の影響で、事故後2年間は加工自粛を余儀なくされた。

 11年から12年にかけての冬は除染をした。同JA管内の柿の木を一本ずつ高圧洗浄機で水洗いし、幹の皮をはいだ。「畑ばかりじゃない、庭に植わっているのや川の沢に生えているのも。全部で約26万本。冬のさなかにカッパを着て、厳しい作業でした」

 出荷再開から10回目の冬が終わる。今も福島市、伊達市、桑折町、国見町の2市2町では、全量を検査してから出荷する。

 「再開直後は、扱わないというスーパーもありましたが、今はそれもなくなった。この5年は、JAに消費者から安全性についての問い合わせも来ない。検査して安全に作っていることが浸透しているのでは」と佐藤さん。価格も事故前と遜色ないという。

 生産量は同JA全体で20年度が事故前の75%まで回復した。ただ、その後の2年は凍霜害、変形果の発生で減少し、元のレベルまでには戻っていない。

 背景には、事故をきっかけに…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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