伯州綿100%の糸をあきらめたくない 幼い記憶、職員は奔走した

 かつて鳥取県西部の弓ケ浜半島では、「伯州綿」と呼ばれる和綿が盛んに栽培されていた。安価な輸入品に押され、いったんは衰退。だが、2008年に同県境港市耕作放棄地対策として栽培に乗り出し、いまではさまざまな新商品が開発されるようになった。復活劇のウラには、東奔西走した1人の市職員の奮闘があった。

 2007年、境港市水産農業課の係長だった大道幸祐さん(52)は、市農業公社の職員も兼務していた。仕事の一つに、市内の耕作放棄地の管理があった。荒れ放題にはできないので、景観を保つために何かを栽培することに。

 「綿はできるのかな」

 畑にふわふわ。不思議な作物だな。頭の片隅には、幼いころに目にした綿畑の記憶があった。

 地元には、伝統的工芸品「弓浜絣(ゆみはまがすり)」のために伯州綿を細々と栽培している農家がいた。頼むと、「使っていいよ」とレジ袋一つ分ぐらいの、綿にくるまれたままの種をくれた。

 ふわふわの綿のなかには、7~8粒の種。昼食を終えると役所の会議室にこもり、借りてきた手動の綿繰り機で綿と種を分け続けた。

 08年5月、500平方メートルの畑に種を植えた。「一反(約992平方メートル)で100キロの綿がとれれば上等」と言われるなか、60キロの綿を収穫。試験栽培は大成功だった。「素人でもできるんだ。綿は、ほんとうにこの土地に合ってたんだ」

豊かな弾力があだに

 国産綿で布団を作っている茨城県の業者に収穫した綿をみてもらうと、「弾力があって、布団には非常にいい。最高です」と絶賛された。

 試験栽培の綿の収穫が始まっ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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