何に怒れば…募る空しさ 帰りたかった浪江は、もうない

 床に正座をする青い作業着姿の7人の男性。「本当に申し訳ありませんでした」。床に手をつき、深々と頭を下げた。

 2011年5月4日、福島県二本松市の体育館。土下座をしたのは、原発事故を起こした東京電力の清水正孝社長(当時)らだった。約55キロ離れた浪江(なみえ)町から避難した住民約200人が、それを見ていた。

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 《事故で東電福島第一原発から20キロ圏内など約8万人が避難を強いられた》

 「いつ帰れるの」「賠償はいつになるのか」。怒りの声に、社長は「申し訳ありません」と繰り返した。

 原田雄一さん(71)が手を挙げた。声が震えた。

 「社長さんは、請戸(うけど)に行かれましたか。まず行って、亡くなった人に頭を下げるべきじゃないでしょうか」

 沿岸の請戸地区は津波に襲われ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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