光秀ゆかりの福知山城、取り壊し前の古写真? 初確認か

 戦国武将、明智光秀が築いた福知山城(京都府福知山市)の天守部分が写った古写真が見つかったと、城郭模型作家の男性が発表した。城は明治6(1873)年以降に解体され、解体前の写真はこれまで確認されていない。専門家は本物だとみており、「城の歴史を研究する上で第一級の史料」と位置づけている。

拡大する福知山城天守を写した古写真表面。コントラストなどを調整し、城を浮き上がらせた=島充さん提供

拡大する古写真と同じ方向から撮影した現在の福知山城=京都府福知山市

 今年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公、光秀は、丹波(いまの京都府中部など)を平定した天正7(1579)年ごろ、前身となる城のあった場所に新たに福知山城を築いた。82年に本能寺の変を起こした光秀の死後、城は別の城主の手に移り、1600年ごろ、天守も含めて増築・改修工事された。

 明治4(1871)年の廃藩置県にともなって、福知山城をはじめ全国に約200あった旧藩の城は陸軍省の所管に。同省が駐屯地などとして使い切れなくなった結果、73年に廃城令が出され、福知山城は天守台の石垣など一部を除き、大半が壊された。

 現在の城は、地元市民の「瓦一…

【8/7まで】シンプルコース(月額980円)が今ならキャンペーン中!詳しくはこちら

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment