原発もサンマも来なくなった町 30年後漁師は葛藤する

 東京電力福島第一原発の事故から10年。処理済み汚染水の海洋放出や、「核のごみ」最終処分場の誘致など、原子力を巡る問題は国と地方の関係を問い続ける。かつて原発計画を拒んだまちで、衰退する地方のいまと地域振興のあり方を考える。

 2011年3月12日、東京電力福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発を起こした。この日、三重県熊野市の畑中伉(ただし)さん(75)は、造船所で漁船を手入れしていた。黒潮の流れる熊野灘を見つめながら。

 その30年前、1981年3月のよく晴れた日。畑中さんは、サンマ漁船「宝幸丸」に大漁旗を掲げた。

 熊野市井内浦(いちうら)への原発計画に反対する海上デモ。同県尾鷲市や和歌山県那智勝浦町など近隣の漁船を含む150隻が集まった。

拡大する1981年の海上デモの様子。漁師たちが大漁旗を掲げてパレードした=塩崎保夫さん提供

 畑中さんが所属する熊野市遊木(ゆき)町の漁協は、サンマ漁で知られた。近辺のサンマは脂身が少なく、干物にも加工された。最盛期には26隻のサンマ漁船が港に並び、畑中さんも1日に15トンの水揚げがあった。

 中部電力による原発計画が71年に持ち上がった井内浦は、遊木町から直線距離で約4キロのところにある。

 漁師の妻が結成した「婦人の会」は、山あいの住民に干物を配り、「このサンマが食べられなくなる」と訴えた。名付けて「サンマキャンペーン」。畑中さんも軽トラックの荷台に大量のサンマを積み込んだ。

「原発? 何それ?」

 「井内浦に原発が建つみたいですね」。畑中さんが計画を初めて聞いたのは、電線工事に来た中部電の下請け作業員からだった。

 原発? 何それ?

拡大する原発計画があった三重県熊野市・井内浦=2014年5月10日、熊野市磯崎町

 知り合いに聞くと、南島町と紀勢町(ともに当時)にまたがる芦浜では、推進派と反対派が対立し、原発計画が行き詰まっているという。若手の漁師仲間たちと南島町に出かけた。

 反対派は、原発の温排水で周辺の磯がダメになると言った。推進派の高齢者は「これぐらいええもんはない。堤防、道路、加工場、何でもできる。一度に町が豊かになる」と語った。

 帰りの車中。畑中さんは「磯がダメになったら漁師は生きていけへん。伊勢エビもサンマも食えへんくなる」と考えていた。しかし「ようけ金が落ちるらしいな」という声もあった。

 中部電は、熊野市内の人たちを招待し、各地の原発を視察する旅行を始めた。畑中さんの知り合いも参加した。貸し切りバスで名古屋に向かい、大相撲名古屋場所を見た後で、原発へ。夜には宴席が用意され、参加費はほぼ無料だった。

 あからさまな地元対策は反発を招き、市内の全6漁協が反対を決議。畑中さんも先導的な立場になった。「地域一丸」をめざした反対派は、市議会で5度に及ぶ反対決議を成立させ、87年に計画は立ち消えた。

もし原発があったら…

 そのころから、畑中さんは胸中…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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