国産機YS11、茨城で展示へ 羽田で20年間眠る機体

 戦後初の国産民間輸送機YS11の量産1号機が、筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」に移され、常設展示されることになった。国立科学博物館が羽田空港の格納庫で保管し、約20年間、活用されないまま眠ってきたが、飛行機の展示に興味のあった施設側と話がまとまった。関係者は「戦後復興を象徴する文化財がようやく一般公開される」と喜んでいる。

 YS11は、敗戦により航空機開発を7年間禁止された日本が1950年代から国策として手がけたプロペラ機。試作2機を含む計182機が生産され、国内外の航空会社で旅客機などとして使われた。

 科博が所有する機体は、64年に初飛行した量産初号機だ。旧運輸省航空局に所属し、65年から98年まで航空管制通信施設などが正常に働いているかを確かめる飛行検査機として活躍した。YS11の中でも記念碑的価値が高いとされ、日本機械学会の「機械遺産」、日本航空協会の「重要航空遺産」にそれぞれ認定されている。

 科博の産業技術史資料情報センターによると、90年代ごろ、羽田空港周辺では民間による「航空宇宙科学館」の構想があり、機体の展示を目指したが、羽田の滑走路拡張などで下火に。米同時多発テロ事件の影響もあり、保安上の理由から格納庫にしまいっぱなしになった。維持・管理に年間約1千万円かかり、民主党政権時の事業仕分けで取り上げられて話題になったこともある。

 保存先探しが長引くなか、鉄道車両やクラシックカーなどを展示するヒロサワ側に打診したところ、飛行機の収集も考えていたことから移転が実現することになったという。機体を無償貸与する代わりに、施設側が屋根付きの建物を用意して公開に責任を持つ。

 鈴木一義センター長は「量産初…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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