変わり果てた故郷、兄は今どこに 道路が遮断、捜索現場の過酷な状況

 能登半島地震から3週間が過ぎたが、19人の安否がわかっていない(石川県発表、23日午後2時時点)。大量の土砂に阻まれた地区や、二次災害の危険もある現場で、いまも捜索が続いている。そしてそれを見守り、救出を待つ家族がいる。

 輪島市東部に位置する町野町の寺山地区。発災直後、孤立状態に陥ったこの地区では、伏木野(ふしきの)茂雄さん(68)の行方がわかっていない。

 「自然ではない木が見えます」「家屋の一部でしょうか」

 19日午後、東京消防庁の隊員約80人がスコップで土を掘り起こしていると、無線が鳴り響いた。

 土砂崩れで伏木野さんの自宅は数百メートルにわたって流された。

2.4キロ手前で寸断

 現場は過酷だ。

 落石のおそれのある地点に赤いテープが張られている。余震を知らせるブザーとともに指揮官の「上を見て」という声が飛ぶと、隊員らは異変がないか、周囲に目を凝らす。余震が起きる度、作業は中断する。

 伏木野さん方に続く道は2・4キロ手前で寸断され、重機は通れない。

 隊員らは現場に入るため、急斜面にロープを張ったり、行く手を阻む木々を切ったり、ぬかるみに橋を渡したり。たどり着くまでに1時間半はかかる。

 もともと別の県の消防隊が作業していたところに、東京消防庁も参加。19日になってようやく、自宅があったと思われる場所が特定された。

「また来るね」。その3日後に

 「なんとか見つかってほしい。それだけです」

 市外に住む伏木野さんの妹(66)はそう話す。

 週に1回は実家でもある伏木野さん方に顔を出し、一人暮らしで足が不自由な兄の通院や買い物を手伝ってきた。

 地震の3日前にも訪れ、料理を作り置きした。「年の瀬で私も忙しかったでしょ。『また来るね』と話して、すぐ帰ったんです」

 強い揺れに見舞われた元日、兄の携帯電話を鳴らしてもつながらない。町野町は「孤立集落」と報じられ、駆けつけることもできない。市役所に電話し、安否が分からないと告げると、「自衛隊が向かうと思います」。どこも混乱していた。

 捜索が始まったと聞き、17日、震災後初めて兄の自宅に向かった。だが、自宅につながる唯一の道は途絶え、消防隊員の足跡や、目印に残したテープを追って、ようやくたどりついた。

 15歳まで暮らした故郷の姿は一変していた。

 誰とでも仲良くなる朗らかな兄。幼い頃、土砂崩れがあった斜面でスキーをして遊んだこともある。「正月はテレビを見て寝転がっていたことでしょう。怖かったろうと思います」

「1、2分で土砂が流れてきた」

 輪島市中央部に位置する市ノ瀬町でも山が頂上付近から崩れ落ち、住宅約10棟が押し流された。

 曲田(まがりだ)克也さん(64)と千恵子さん(64)、垣地(かきち)英次(ひでつぐ)さん(56)の3人と連絡が取れていない。

 現場は大量の土砂に覆われている上に、川が土砂で塞がれて雪解け水などをせき止め、危険な状態が続いている。二次災害に備え、土囊(どのう)で囲まれた範囲を警察官などが捜索を続けている。

 家の前まで土砂が来たという男性は「地震から1、2分で土砂が流れてきたのであわてて逃げた。地震前より山が近くなっている気がする」と話した。

 23日現在、輪島市ではこのほかに11人が、珠洲市では4人が、震災との関連はわかっていないが安否不明のままだ。(小早川遥平、黒田陸離)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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