大学は出たけれど「サラリーマンになりたくない」 頼りにした新妻は…(西日本新聞)

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(21)

 水俣病など公害を学んでいたゼミで「患者になりたくないなら、水俣から出て行けばいいじゃないか」と発言した同級生と大げんかし、ゼミを放棄した私でしたが、代わりの単位が取得でき、青山学院大経済学部を卒業するめどが立ちました。もっとも、学生運動の影響で、多くの授業がリポート提出で済んだので助かりました。

【写真】笑いあり、涙ありの半生を振り返る海老原靖芳さん

 さて「卒業後は?」と考えました。「自分は何をすればいいのか」。書き込んでみようとノートに向き合いました。鉛筆は少しも動きません。ならばと、逆に「何をしたくないのか」と題目を変えました。するとどうでしょう。すらすらと書けるではないですか。

 当時の私はロン毛(長髪)にひげを蓄えたヒッピーのような格好。3、4年になっても就職活動はしませんでした。「朝から満員電車に乗りたくない」「ネクタイを締めたくない。スーツも着たくない」「毎日同じ時間に同じ建物に出入りしたくない」「知らない人がいきなり上司となって、いろいろと命令されたくない」「佐世保に帰りたくない」。ノートに書き切れないほどの文字であふれました。これで明確になったのです。「私はサラリーマンになりたくない。組織に加わりたくない」でした。

 それは、長崎県佐世保市に住む年老いた両親たちの「故郷に戻って親和銀行か、市役所に就職を。食堂みよし乃を継いでもよかし」という願いを裏切ることでした。ごめんなさい。

 少し余談を。現在、私は地元長崎県の高校生に講演をしていますが、将来何をしたいのかを考えるときは「自分がしたくないことをノートに書き込んでごらん」と伝えています。逆説的ですが、消去するものを挙げると頭がすっきりし、やりたいことがはっきりします。

 当時付き合っていた女性(ゆかり)とは互いに結婚を考えていましたが、就職したくないから収入はゼロ。だけどそれでもいいかと告げたところ「いいよ。私が働くから。あなたは好きにして」と言ってくれたので決心しました。卒業直後に若さだけで結婚しましたが、妻は内臓の病気で職場に立てなくなったのです。

 「公害」を巡って大げんかしたあのゼミの同級生はいわゆる一流企業に就職が決まりました。卒業間近のキャンパスをスーツ姿で歩く彼のまぶしいこと。

 焦る1975年春。さあ、これからの新郎新婦の食いぶちをどがんすればよかか。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年07月10日時点のものです

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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