大津波警報でも「たいしたことねえ」 翌年の震災、運命は分かれた

 《日曜曇り……石巻地区は異常なし》

 宮城県石巻市門脇3丁目で暮らしていた林信吾さん(87)は、2010年2月28日の日記にそう記した。南米チリ沿岸地震で出された大津波警報を知り、近くの日和山に避難した。ただこの日、石巻鮎川で観測された津波は約80センチだった。

 「うちにも水は来なかった。だから津波はたいしたことねえって思った。恥ずかしい話だ」。そう振り返る。次の年、東日本大震災2日前の地震で津波注意報が出た時も、日記に「被害はあまり出ないようだ」とある。

妻に促され避難、車ごと津波に

 油断は上塗りされた。

 3月11日、大きな揺れが襲ったときは、台所で大学芋をつくっていた。揺れが収まった後も落ちた食器の片付けをしていた。危機感はなかった。

12年前の2月28日、南米チリ沿岸地震の影響で、東北の太平洋沿岸部に大津波警報が出ました。でも、やってきた津波は予想より小さいものでした。「やっぱりたいしたことない」と思った人と、それでも「次」への備えを見直した人。1年後、運命は分かれました。

 妻の尚子さん(81)に何度…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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