孤高の単独行者・加藤文太郎の思い胸に「兵庫槍」に登る

 「孤高の単独行(たんどくこう)者」として登山史に名を残す加藤文太郎がくり返し歩いた氷ノ山に登った。文太郎は昭和初期に厳冬期の北アルプスを何度も単独縦走し、槍ケ岳北鎌尾根で遭難死した。30歳だった。氷ノ山は文太郎の故郷の山だ。

 新田次郎は富士山頂の観測所に勤務したころ、真冬に1人で登ってきた文太郎に会い、その後に小説「孤高の人」のモデルにした。文太郎の登山記録や文章は遺稿集になり、「新編単独行」の表題でヤマケイ文庫に収められている。

 文太郎は1905年に兵庫県の日本海側、浜坂町(現在の新温泉町)で生まれた。神戸市の三菱内燃機に入社し、夜学で学んで技師になった。六甲山系で山登りを覚え、3千メートル級の冬山を縦走するようになっても故郷の山を歩いた。

 「文太郎さんの山に登ろう」。11月初旬、にぎやかな山登りが嫌いで黙々と歩くのを好む山仲間と、鳥取県若桜町(わかさちょう)の公設の宿「氷太くん」をベースに登った。

 兵庫県境の氷ノ越(ひょうのごえ)から尾根歩きになる。「途中に溶岩のような岩が出ているところへ登ると南を除くすべての眺望が開ける。なお登って槍(やり)頂上へ着いた」と文太郎が書いている。

文太郎が名付けた「兵庫アルプス」

 「槍」とは氷ノ山のことだ。文太郎は兵庫県の最高峰である氷ノ山を兵庫槍と呼んだ。本物の槍ケ岳から見るのと同じ位置関係にある山々を兵庫乗鞍、兵庫立山などと名づけた。白馬、焼、御嶽、大天井(おてんしょう)もある。私はどの山がそう呼ばれたのかを確認するのを楽しみに登った。しかし頂上に着くころから雲に覆われ、四方が真っ白になった。

 故郷の山々をめぐる文太郎は、病気で寝込み気弱になった父を下山後に見舞おうと思うのだが、ぎりぎりまで山にいて、月曜朝に神戸に着く夜行列車に飛び乗る。「もう山登りをやめよう」「心配をかけた不孝をわびよう」。登るたびに思うが足は山を離れない。そんな文章をいくつも書き残している。

 山に魅せられ山で死んだ人は、最期になにを見たのだろうか。

 山に迷う文太郎の後ろ姿を追いながら雲の中を歩いた。厳冬の氷ノ山にも登って来ようか。晴れた冬の日にまた来れば、文太郎の「兵庫アルプス」は白く輝いているに違いない。(六郷孝也)

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〈登山口メモ〉鳥取県若桜町の登山口までは、中国自動車道の山崎インターから約1時間40分。鳥取自動車道の河原インターからは50分ほど。スキー場やキャンプ場の駐車場がある。公設の宿「氷太くん」は1泊2食で山小屋泊とほぼ同等料金。兵庫県側にも登山口がある。

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〈デジタル余話〉今回は本文にコースの案内が少ないので、ここで行程を紹介する。

 登山前日に泊まった氷ノ山高原の宿「氷太くん」は朝食の時刻が遅いので、前夜のうちに朝食代わりのおにぎりを受け取り、午前6時過ぎに出発した。

 氷ノ越コースの登山口は氷ノ山キャンプ場の近くにある。山頂まで4キロほど。氷ノ越までの約1時間は急傾斜を登る。因幡と但馬を結ぶ古道で、江戸時代には伊勢参りの道だった。

 峠である氷ノ越からは尾根道で、山頂まで1時間半。兵庫県側の眺望が開けている。山頂手前に甑(こしき)岩と呼ばれる岩場がある。滑落の恐れがある技術度の高い岩場なので、左手の巻き道で登った。

 氷ノ山山頂は1等三角点があり、真新しい標柱が立つ。避難小屋があり、すぐ近くの展望所の建物にトイレもある。

 山頂から南へ50分ほどで着く三ノ丸(標高1464メートル)へは、ササを刈り開いた広い縦走路が続く。高低差は少ない。三ノ丸にも展望台やトイレが設置されている。

 三ノ丸からトチノキやカツラなど落葉樹の多い樹林帯を下り、標高1200メートル付近でスキー場最上部のリフト降り場に出る。ここからゲレンデ脇の急傾斜を下る。三ノ丸コース登山口までずっとゲレンデを通る。三ノ丸からの下り所要時間は1時間半。

 冬場なら今回と逆回りで、このスキー場リフトで最上部まで上り、スノーシューやワカンジキを着けて氷ノ山山頂を目指すのも楽しそうだ。

 登山口のそばには鳥取県観光事業団が運営する氷ノ山自然ふれあい館「響の森」(入場無料)があり、氷ノ山の動植物、地形地質、歴史・文化を紹介している。


Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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