家族や命の大切さ、子が教えてくれた 熊本地震から5年

 5年前の熊本地震で、かけがえのないわが子を失った。成長を見届けられなかった悲しみ、喪失感。残してくれた思い出は今も温かい。親たちは時に立ち止まりながら、前を向く。

 6種類の桜の苗が、2年目の春を迎え花をつけ始めた。神代曙(じんだいあけぼの)、仙台屋(せんだいや)、紅華(こうか)……。息子が亡くなった年齢と同じ22本ある。

 大和(やまと)卓也さん(62)と妻の忍さん(53)=熊本県阿蘇市=が、南阿蘇村の立野地区にある忍さんの実家の田んぼに植えた。5年前の4月16日未明、2回目の最大震度7を観測した熊本地震の本震で、大学生だった晃(ひかる)さん(当時22)を亡くした。

 田んぼのすぐ脇にあるJR豊肥線を、かつて蒸気機関車がひく観光列車「あそBOY」が走った。田植えや稲刈りの最中に居合わせた幼い息子は歓喜した。豊肥線は地震による大規模な土砂崩落で一部不通になった後、昨夏に再開した。並走する国道57号も復旧し、崩落した阿蘇大橋に代わる新阿蘇大橋もできた。月日の流れを頭で理解しても、息子が「ついさっきまでいた」感覚は今も変わらない。

 晃さんは国道57号を走っていて、ここから数キロの場所で起きた土砂崩落に車ごと巻き込まれた。行政による捜索が半月で打ち切られた後も、2人は崖下の黒川や白川に下りて晃さんを捜し続けた。知人や見知らぬ人々に協力の輪が広がった。晃さんの車が見つかり、遺体が収容されたのは地震から4カ月後だった。

 通い続けた場所のそばなのに、忍さんは復旧した国道57号を通ることも、新阿蘇大橋を渡ることもできない。「気持ちの現在地は震災直後のまま。57号も大橋も受け入れることができない」

 5年の歳月。たくさんの人とのつながりが生まれた。熊本市内の小学校から晃さんが好きだった花を学校に植えたいという申し出があり、児童たちと交流が始まった。晃さんがまいた種もみから代を重ねる苗を、一緒に田植えした。

 2人は、知り合った人に「家族…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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