寂聴さんの最期の日々 病室で締め切りまでに「書く」、それでも…

⑧瀬尾まなほさんに聞く

 瀬戸内寂聴さんは昨年11月9日、京都市の病院で息を引き取った。秘書の瀬尾まなほさん(34)も、その病室でみとった。寂聴さんの最期の日々はどうだったのか、聞いた。

 ――入院したのは、亡くなる2カ月前でしたよね?

 2021年の秋に風邪をこじらせました。たんがからむせきが続いたんです。9月下旬に気管支肺炎と診断され、入院しました。最初は、なんてことのない入院だと誰もが思っていました。いつものように、すぐに元気になって、また書き始めようねと話していたんです。入院中もいたって元気で、食事制限もなし。今度のお正月はどうしようかと、お節料理の広告を見ていました。

 10月初めに、いったん退院しました。5日間ほど寂庵(じゃくあん)に戻り、その間に朝日新聞の連載「寂聴 残された日々」を書き上げました。結果的に、これが人生、最後の原稿になりました。

 寂庵のダイニングキッチンのテーブルで、いつものようにいすに座って庭を眺めていました。寂庵ができたとき、来てくれる人たちに1本ずつ木を植えてもらった庭です。その庭を見ながら「やっぱり寂庵がいいね。寂庵で死にたい」と言っていました。

 ――再入院のときは、どんな様子でしたか。

 退院してから5日ほどたった朝、息が苦しいと言い出しました。病院に行くと、肺に水がたまっていて心不全も起こしていました。そのまま再入院です。

 週刊朝日で連載中だった横尾忠則さんとの往復書簡の締め切りがあったので、病室に原稿用紙を持っていきました。でも、「無理せずに休もうね」と話していました。病室でも「寂庵に帰りたい、早くお酒を飲みたい」と何度も言うんです。来週には退院できるということになり、リハビリも始めました。11月14日の得度記念日は寂庵でお祝いできると思っていました。

 ――51歳のときに岩手・中尊寺で得度した日が73年11月14日でしたね。体調が急変したのですか。

記事の後半では、病室でも書くことへの衰えぬ意欲を見せる寂聴さんについて語られます。

 10月末に退院するはずだっ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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